Project JRS公式ブログ

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昨日、3月26日をもって青函連絡船の終焉や寝台特急、そして津軽海峡線などの終焉などを見送って来た4代目青森駅が昨日をもって役目を終え新駅舎へと受け継がれました。。。
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数々の名列車を見送って来たあの本州最北端の代表駅。

北海道の函館とは対照的に青函連絡船時代を今なお残していたあの青森駅がついに幕を閉じました。
私にとっても青森駅は何度も足を運んだ地なので思い出深い駅ではあります。

寝台特急でも新幹線でも、そして高速バスでもこの駅に来ただけにこの駅舎が解体されるのは心痛いですね。。。
今日は、その歴史を振り返りつつ紹介していきたいと思います。

この4代目の駅舎が誕生したのは、なんと!1959年(昭和34年)12月25日のことなんです!
いやはやスゴイですよね~実に61年ですよ。半世紀この駅舎だったと思うとホントすごいですよね。
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当時は、まだ青函連絡船現役時代なわけですよ!
やはりこの曲が似合いますよね~石川さゆりの「津軽海峡冬景色」

上野発の夜行列車降りた時から~
青森駅は雪の中~

そうこの曲が歌われた時の駅舎もこの4代目の駅舎です。
当時は、夜行列車や特急からこの青森駅に降り立ち、北海道函館に行く青函連絡船へと急いで乗り込みいい座席を確保しようと走る「青森ダッシュ!」ならぬ光景が見られたそうだ。

当時は、列車も長編成で今の青森港側の跨線橋も稼働しててそこから青函連絡船へと繋がっていた訳ですが・・・長い時を経て青函連絡船は1988年に廃止となり津軽海峡線へ!

そして、その津軽海峡線も2016年に北海道新幹線にバトンを託し廃止となってしまった。

長い間、青森と函館は姉妹都市として友好を重ねてきたわけですが、北海道新幹線開業により青森駅と函館駅が互いに結ばれる関係では無くなってしまったというのは非常に残念でならなかったです。

話が逸れたので、戻しますw
当初、青森駅には東口(東横イン側)しかなかったのですが、逆側の住民からの要望などがあり、1984年(昭和59年)12月に西口駅舎新築されました。

覚えてます?東口側はあんなに立派な駅舎なのに逆側はというと・・・
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こんなにこじんまりとしてて、「え?これが青森駅?」と錯覚させるような佇まいだったのは鉄の皆さんなら共感していただけますよね。。。

そう、こっちの西口はJR東日本の子会社が駅業務を管轄していたんですよね~東口はJR東日本直営なのに対し反対側は子会社の受け持ちというね。最近ではそういう駅は増えましたけどたぶんこの駅が初なんじゃないかと記憶しています。

2年後の1986年(昭和61年)5月23日、青森駅の隣にある青森駅ビル「ラビナ」が開業します。
新駅舎になった現在は、この駅ビルと旧駅舎の間に通路が設けられて新駅舎への入口になるんだとか。。。ただ、そのラビナについても駅前再開発によって取り壊されることは既定路線らしいです。
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駅前再開発で思い出しましたけど、対岸の北海道 函館駅は青函連絡船時代の駅舎は2003年に取り壊され現在の5代目駅舎となったんですよね。
ちなみにこちらも4代目駅舎が青函連絡船を見送った駅舎だった訳です。まあ、函館駅の4代目駅舎もかなり知名度の高い駅舎でしたよね~

函館に関して言えば、函館は青函連絡船が無くなってからの再開発が早かったんですよね。だからこそ今ではあんなに賑わっていますし、たいして青森はというと近くに観光スポットがあるわけでもなく函館とは対照的に廃れていった感じですね。私はこれを「青函の差」と呼んでいます。

青森駅にとって、特急は必要不可欠な存在だと私は思ってます。
かつて、この青森には2つの寝台特急が終点として運行されてたわけですから・・・

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上野からの寝台特急あけぼのと、大阪からの寝台特急日本海どちらも青森へ向かう唯一の寝台特急でした。そして忘れてはいけないあの青函連絡船深夜便の代替となっていた急行はまなすである。
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さらにさかのぼれば、大阪発の特急白鳥は昼行列車最長距離を誇った唯一の列車だったしと・・・本州各地からこの本州最北端の青森駅へ向けて多くの列車が運転されていた。

しかし、その青森を始終着とする列車は今や秋田から来る「つがる」のみとなってしまった。
かつては、10両以上の超大編成が乗り入れてきた青森駅は今や最長でも4両というなんとも悲しい編成となってしまいかつて青函連絡船などの跨線橋があった場所へ編成が届くことは無くなってしまった。
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2010年の青森駅ホームには、いまだに旧国鉄時代の案内が残されていた。
そして、右側の消された跡にはかすかに「青函連絡船」の文字が見えていたし、ホームにも「連絡船」の文字が残されていました。

そうそう、つい数年前に訪れた時にはまだ「スーパー白鳥」の自由席乗車位置の案内とかも残って見えてましたね。。。時が経つのは早いものですね。。。

また、逸れたので戻しますねw
1988年(昭和63年)3月13日、青函連絡船廃止され、JR北海道 海峡線(津軽海峡線)開業に伴い、津軽線の青森~新中小国信号場間が交流電化されました。

いよいよ転換点ですね。この時点をもって函館は再開発へと動くわけですが青森は動かなかったんですよね。まあ、まだこの時点では青森はかなり賑わってましたからね~

1990年(平成2年)3月10日、東口のみどりの窓口内にびゅうプラザ青森がオープン!このびゅうプラザは新駅舎にも設置されるようなので一安心ですかね。

そして、またもや大きな転換期を迎えます。
2010年(平成22年)12月4日、東北本線青森~八戸間が青い森鉄道に移管され、JR東日本と青い森鉄道の共同使用駅となる。
所属線も東北本線から奥羽本線に変更され、青森地区駅長が青森駅長兼務から新青森駅長兼務に変更されました。

青森駅としては、青函連絡船の終焉に次ぐ大きな転換期と言っていいでしょう。
今まで最長路線として君臨してきた東北本線がなんと!盛岡までに縮小されてしまい青森まで来なくなってしまったという衝撃!東北新幹線の盛岡までは国鉄時代に作られたから並行在来線をま逃れたが、盛岡~八戸~新青森間はJR化後に作られたので並行在来線として分離され盛岡~目時間がIGRいわて銀河鉄道へ、目時~青森間が青い森鉄道へと転換された。
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今まで青森駅の駅名標は上野駅の対になる形でどの方向にも次駅の案内がなされていないタイプのものが採用されていたが、この東北本線が移管されたことにより、元東北本線方面専用ホームだった1・2番線が青い森鉄道専用ホームへと移管され駅名標も青い森鉄道専用のものへと交換されてしまった。
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さらには、青い森鉄道には超大編成が乗り入れないという事から青森港側の機回し線などすべてが撤去!さらにホームも後ろの方は立ち入り禁止となった。

この処置には正直目を疑ったし、ビックリしたよ。
あ~長く続いた青森駅の歴史に終止符が打たれたんだな~って・・・上の寝台特急日本海の画像見てもらうと分かると思いますが、寝台特急日本海が止まってるホーム1番線なんですよ!

もうこの頃から青森駅は廃れ始めていってたと私は自覚している。駅前のホテルがつぶれ始めたのもだいたいこの頃からだったし、一番の衝撃は駅前にあったワシントンホテルですら潰れたことですよ。

そして、青森駅に追い打ちをかけるあの出来事が起きる。。。
2016年(平成28年)3月21日、北海道新幹線開業に伴い、津軽海峡線旅客列車の運行が終了(新幹線開業日である3月26日付で廃止)これにより、青森駅への特急は「つがる」のみとなってしまう。

また、4月1日には新青森駅が当駅管理下となり、青森地区駅長が新青森駅長兼務から青森駅長兼務に変更となった。
まあ、もともとは新青森駅は無人駅だった訳ですが、2010年の東北新幹線全通で当時の青森駅長が新青森駅長に人事異動して、青森駅は新たな人が駅長になったんですよね。この時点で青森駅長と新青森駅+青森地区駅長の2名体制だったものが、組織の変更で1人で2駅+青森地区の駅長を兼務するという感じになったという感じ。。。

津軽海峡線が無くなったことを皮切りに、青森県・青森市が老朽化した青森駅の利便性悪いから新しくした方がよくね?という感じの提案をしてくる。
2016年7月1日、青森県・青森市・JR東日本が「青森駅周辺整備事業」の基本協定を締結する。

これぞ、新駅舎竣工への第一歩となった出来事である。
2年後には、さらにまとまり・・・
2018年(平成30年)
6月6日、青森県・青森市・青森商工会議所・JR東日本が「青森駅周辺のまちづくりに関する連携協定」を締結。
7月18日、青森県・青森市・JR東日本が「青森駅自由通路整備等に関する工事の施行協定」を締結。
11月7日、東西自由通路設置工事および橋上駅舎化工事の安全祈願祭を行う。

本日、開業した東西自由通路の工事を開始したのが2018年11月という事です。

青森駅の出来事はまだ終わらない!
翌2019年(令和元年)6月1日、蟹田駅業務委託化・三厩駅無人化に伴い、津軽線中沢~三厩間が青森駅管理下となります。
津軽線の中でも三厩駅がついに無人駅になってしまうというのが衝撃的だったこのニュース。津軽海峡線が無くなりここまで廃れていくのかと・・・

やっぱりね地域輸送って大事なのよ!津軽海峡線特急は色々な意味で地域に貢献してたんじゃないかな~って思うよ。北海道新幹線できた後に乗ったけどさ、あれって盛岡とか仙台から函館へ行く人には良いかもしれないけど、青森市に住んでる人にとっては全然利便性が良くないんだもん。

今まで、青森駅から乗れば函館に行けたのにさわざわざ、新青森で乗り換えて新幹線乗っても新函館北斗で乗り換えなきゃならないやん?そんなのめんどくさくて年寄りにはできないのよ。なんか乗り継がせるんだ!ってなるよ普通に考えて。そうしたら自然と函館行くのやめよ。とか津軽海峡フェリーで行けばいいか~ってなる訳よ。それをわかってないJRは本当にダメ。

また逸れましたねw
いや~つい語ってしまうんですよね・・・愛着がある駅だからこそこう物申したくなるというかなんというか・・・また戻します。

そして昨日、2021年(令和3年)3月26日、4代目駅舎及び西口の窓口営業が終了。
深夜0時過ぎ・・・今まで61年間にわたって点灯してきた「あおもり駅」の電灯が消灯され、4代目駅舎としての責務を全うし新駅にバトンを渡した。

本日3月27日、新駅舎(5代目)及び東西自由通路の供用が開始されたのだが、この新駅舎は問題があるようである。それが!
トイレ少ない問題

4代目駅舎には改札外にトイレが設置されていたのだが、新駅舎は自由通路の中に駅舎があるというタイプになっているという事からトイレが改札内にしか設置されていないという問題というよりデメリットがあるようである。
これは、非常に由々しき事態と言っても過言ではないですよ!青森県と青森市はそれに対する努力義務をする必要があると思いますね。老朽化していたとはいえ青森駅周辺の再開発を持ち出したのは青森県であり青森市なのだから・・・

長い歴史を誇った4代目駅舎は今後解体されてその跡地も大きく変貌するらしいです。
今後、青森駅がどのように変化・変革していくのかこれからも私は見守っていきたいと思います。

青森駅が好きだったからこそ、今後もこれからもどうなっていくのか見ていきたいと思います!

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昨日、お休みを頂いたので急遽!いわきへと日帰り旅行を敢行してきました!
目的は、昨夏個人的に行っていた「常磐線入場券収集の旅」のいわき以北が欲しかったのと、現在運転されている特急ひたちが延長運転をする形で東北新幹線を補完する「臨時快速 仙台行き」の偵察をしに行ってきましたのでここで報告したいと思います!

また、昨日一足早くTwitterの方では報告を上げさせていただいたのですが・・・
まさかの300RT、1000(・∀・)イイネ!!を越える大反響をいただきました!

この場をお借りしてお礼申し上げます。


それでは、本題に入りましょう!
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前述の通り、通常の特急ひたちに加え、現在2往復が「臨時快速」として運転されています。

そのうち、仙台発いわき行きの臨時快速は「いわき」での表示は「ひたち」で表示されてしまうため、今回は仙台行きに限って取材を行いました!

★コンコース内・駅ホーム
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Twitterなどでは、いわき駅のフルカラー発車標を最大限に活かしてE657系が表示されているということで見に行ったら案の定E657系が表示されていました!

ちなみにJR水戸支社はこういうフルカラーLED職人が多く居るようで水戸駅とかでも、臨時列車が走行する際には車両入りの表示がされることがあるみたいです。

その他、上記の表示以外は・・・
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臨時が縦表示のものも存在しています。

表示順序としては「E657系臨時快速」→「縦表示臨時快速 10両」→「E657系RAPID」→「RAPID 10Car」というような感じです。
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なので、このようにE657系の表示は英語表記でも現れます!

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ホーム上の発車標も画像のように表示はコンコースと同じでした。

いわき駅の仙台行き特急は基本的に4番線にしか、発着しないので画像のように「仙台行き」が並んで表示されます。
基本的にお隣の3番線が、E531系5両編成の普通が停車しています。
まれに水戸方面の列車もこのホームへ入る・・・

常磐線いわき以北の特徴としては、無人駅が多く存在しており5両編成が限界という駅が多くあるので10両のE657系が止まれない駅も多々あるようです。
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ちなみに、いわき以北は一部区間を除きほぼ単線になるので4番線(下り本線)を発車した列車はこのように転線します。

★特急ひたち9号入線 → 臨時快速へ
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この日、約3分遅れて入線してきた特急ひたち9号!
いわき到着後、すぐに側面方向幕が切り替わり・・・
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でました!E657系ではかなり珍しい「快速」表示です!
でも、駅名対照表によると種別表示に快速が入っているのは姉妹サイトの方からでも確認できます。

なので!「快速 仙台」という表示は可能という事なんですね~

ただ、注目してもらいたいのは座席表示www
側面方向幕を急いで切り替えたのか設定がミスってて「指定席」のままいわきを出発していきましたwww

駅員が必死に「乗車券のみでご乗車いただけます」と言ってもこの表示だと乗るのに抵抗がありそうですよねwww

その後!いったんいわき駅を離れいわきから車で北上し入場券の収集へ!

★LEDに変化

時間変わって20時頃!最終のひたちに乗るために再びいわき駅へ!!!

そこで!現在Twitterでバズっているある変化を目撃しました!!!
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あれ?昼と表示違くないとwww

ちなみに変わったのはコレとコレのみ
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「縦表示臨時快速」と「RAPID 10Car」は変更なしでしたが・・・

まさか!この短時間で「臨時快速」がめちゃくちゃ進化してましたwww
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↑ 昼に表示してたタイプ ↑
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↑夜に表示してたタイプ ↑

E657系が正面の顔だったものが、側面も追加され・・・
さらに「臨時」が斜めフォントの赤文字になり、「快速」もなんかフォントが変わっています。

Twitterからの情報によると2月16日は、同上昼と同じ表示だったとのコメントを頂きましたので、おそらくいわき駅のLED職人がこの短時間で修正したのかと思われます。

いやはや、いわき駅のLED職人おそれいりました。
まさかこんなサプライズが来るとは夢にも思わなかったよwww


最終のひたちの発車時刻が迫っていたので、この電車を見送ることは出来ませんでしたが、サプライズもありとても楽しい1日でした。

以上!いわき駅での臨時快速レポートでした!

次回!上野駅でのレポートをお届けいたします!

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あの震災から早9年・・・
あの当時のことを思い出すと心苦しい記憶が思い起こされる・・・

私も2013年に常磐線民となり、常磐線を利用してきたからこそ待ちに待った瞬間が今!訪れようとしています。
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震災からいよいよ全線で運転を再開することが出来る常磐線!
かつて、上野~仙台間を走った 651系電車は居なくなってしまったが、651系の後継車であるE657系が今再び上野~仙台間を駆け抜ける!

今日は、そんな常磐線が全線復旧するのに先駆け、私がかれこれ十数年前に乗った651系の「スーパーひたち」仙台行き記録と常磐線震災から復興への軌跡を紹介していこうと思います。

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上野駅16番線・・・
震災が起きる数年前にはじめて乗った長距離特急がこの「スーパーひたち7号」であった。
この8時ちょうど発の仙台行きは9年が経過し、2015年春に名称を「ひたち」と変え、号数も「ひたち」と「ときわ」の号数が分離されたことにより「ひたち3号」が仙台行きとして復活することになった。
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651系と言えば、やはり前面のディスプレイですよね~
撮影した編成のK205編成は現在も勝田に在籍する唯一の651系ですね。

そして前面に表示される「仙台ゆき」の文字!
E657系には前面にディスプレイが無いのでこの光景は見ることはできませんが・・・
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側面の方向幕は見ることが出来ます!
果たして、明日運転を再開する「ひたち3号 仙台行き」はどのような表示になるのか?
「スーパーひたち」には表示されていた『常磐線経由』の文字は表示されるのだろうか?

近日中に接近放送とともに公開できればと思います。

さて、かつて運行されていた651系の「スーパーひたち7号」仙台行きと今回復活するE657系の「ひたち3号」仙台行きを比較していきたいと思います。

上野を8:00ちょうどに発車するスーパーひたち7号の途中の停車駅は、松戸(819)、土浦、水戸(919)、勝田、常陸多賀、日立(941)、泉、湯本、いわき(1022-25)、広野、富岡、大野、浪江、原ノ町(1127)、相馬、仙台(1223)の順に止まっていきました。
この列車の着目すべき点は、唯一松戸に停車する特急であったことです。
2015年春のダイヤ改正で、常磐線特急の停車駅が整理され千葉県内は「柏」に集約されたことにより、今回復活する「ひたち3号」は松戸の変わりに柏が停車駅となっている。

そして、651系の特徴でもありましたが7両の基本編成と4両の付属編成がありスーパーひたち7号は付属編成が「いわき止まり」で増解結を行っていたこともありいわきで3分ほどの停車時間があった。
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一方で復活する「ひたち3号」はの停車駅は、柏(826)、土浦、水戸(918)、勝田、常陸多賀、日立(941)、磯原、泉、湯本、いわき(1023-25)、広野、富岡、大野、双葉、浪江、原ノ町(1132)、相馬、仙台(1231)となっている。

停車駅が増えたことにより若干震災前よりも乗車時間が長くなっているのも特徴です。
そして、上野の発車番線も16番線から17番線へ変更されています。仙台の到着番線は今も昔も1番線のようです。

いよいよ復活する仙台行き常磐線特急!
震災前の仙台行きは上野発仙台行きが3本、仙台発上野行きが4本、上野発原ノ町行きが2往復、いわき発仙台行き(スーパーひたち1号)が1本となっていましたが、今回の復活では3往復のみの復活となりました。今後の状況次第では、仙台行きの本数が増加する可能性もあるので乗り鉄の皆さんに掛かってるかもしれませんね~


続いて、常磐線復活の軌跡を振り返っていきましょう!

2011年3月11日 東日本大震災発生
これにより、首都圏をはじめとした鉄道路線はすべて運休となった。常磐線では津波の被害をもろに受けてしまい、新地駅、坂元駅が津波により崩壊。新地駅では4両編成の列車が脱線し大破したが、乗客・乗員は事前に全員避難し死傷者はなかった。浜吉田駅 - 山下駅間でJR貨物のコンテナ貨物列車が脱線した。勝田駅 - 水戸駅間で盛り土が変形し、レールは100メートル以上にわたってゆがんだ。

2011年3月12日 福島第一原発による影響
常磐線に特有の被害として、大野 - 双葉間の沿線に立地する福島第一原子力発電所の事故による放射能汚染が挙げられ、事故後の2011年(平成23年)4月22日以降、原発からの半径20 km圏内と重複する広野 - 磐城太田間が災害対策基本法に基づく警戒区域(民間人強制退去・立入禁止)に指定、半径20 kmから30 km圏内のうち計画的避難区域でない地域の大半(久ノ浜 - 広野、磐城太田 - 鹿島)が「緊急時避難準備区域」に指定されたことにより常磐線は運転再開できなくなった。
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その後、3月12日に日暮里~取手間が再開、3月18日に取手~土浦間が再開、3月31日に土浦~勝田間が再開、4月7日に勝田~高萩駅間が再開、4月11日に高萩~いわき間が再開、4月12日に仙台側の亘理~岩沼間が再開、4月17日にいわき~四ツ倉駅間が再開、5月14日に四ツ倉~久ノ浜間が再開、10月10日に久ノ浜~広野間が再開、12月21日に原ノ町~相馬駅間が再開した。
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2013年3月16日 浜吉田~亘理駅間が再開、2014年6月1日に広野~竜田間が再開

2016年7月12日に小高~原ノ町駅間が再開、12月10日に相馬~浜吉田駅間が再開、2017年4月1日に浪江~小高駅間が再開、10月21日に竜田~富岡駅間再開と年を重ねるごとにどんどんと除染作業が完了したことに伴い再開を続けてきて・・・

2020年3月14日 常磐線全線運転再開へ

そして、明日常磐線民念願の全線復活を成し遂げる!
震災前分断された首都圏と仙台側の常磐線が再びつながる!
それに伴い、Suicaの首都圏エリアが拡大!浪江駅までが首都圏エリアとなり、Suica1枚で東京から浪江まで行けるようになる。
ちなみに、桃内駅をはさんだお隣、小高から先の区間は仙台側のSuicaエリアとなるため跨っての利用はできない。

分断され勝田車両センターに仙台車両センターの701系が常駐するようになったりとか、原ノ町に留置されていた651系が解体されたりとか9年間の不通が明日解消されます!

復活を記念して今一度長距離特急も復活するので、この機会にぜひ皆様も常磐線の旅に出掛けてみてはいかがでしょうか?

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東日本大震災から7年が経過しました・・・
あの時は、首都圏も帰宅困難者とか出て大変でしたよね・・・
立て続けに巨大地震が起きてましたし、そして翌日には原発事故と・・・
そんなツラい震災から7年・・・
鉄路はどんどんと復旧しつつありますが、未だに福島原発の事故の影響で常磐線は不通のままですが、そんな常磐線も復旧の兆しが見えてきましたね!

私事ではありますが、震災の年に入社した会社を今週末で退職することとなりました。
あの当時は、職場でも地震がきて怖い思いもしましたが、今となっては良い思い出になりましたね。
これからは、心機一転してまた頑張っていきたいと思っています。

さて、今日はそんな7年前の写真を少し出させていただこうかなと思っております!

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実は震災が起る1週間前に私は仙台に居たのですよ!
はい!もし1週間後に仙台に来ていたら犠牲者の1人となっていたかもしれないんですよね。そう考えると恐ろしいんですよね。

この仙台駅の写真は震災前の仙台駅です。(←そんな変わってないべ?って聞こえてきそうですが…)

そして、震災後の東北新幹線はこんな行先が見られましたよね~

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今見るとホント驚きの行先ですよね~

さて、ここまでは震災直後の過去のお話ですが・・・
これからのお話をしていきましょう!

イメージ 3

かつて常磐線には「スーパーひたち」仙台行きというのが存在していましたが、2015年春のダイヤ改正で「スーパーひたち」が無くなり号数がすべて修正されてしまい仙台行きの痕跡がすべて無くなってしまいました。

震災後、常磐線はいわき以北が原発事故の放射能汚染と津波による被害で普通となっていましたが、2017年には上野方は富岡まで開通し、仙台方も浪江まで開通し残る区間は富岡~浪江間の15.9㎞となっています。
この区間も除染作業が順調に進んでいるようで、2020年3月までには開通できる見通しとなりました。

これをもって、常磐線が全線で運転を再開し未だに駅名対照表に残っている「ひたち」仙台行きや原ノ町行きが復活するかもしれません。

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当初の予定からは大幅に変わってしまいましたが、また仙台行きという行先が上野で見れる日が来るかもしれません!

常磐線ユーザーとしては、仙台行きの復活を心待ちにしています。


震災から7年・・・
まだまだ復興途中です!
震災の記憶は心に留めておかないといけないと思います。

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いよいよ明日、ダイヤ改正が行われます。
今回のダイヤ改正の目玉は、上野東京ライン(常磐線)の大増発です!
我が常磐線民としては、上野発着が大幅に削減されクソなダイヤ改正だと思っています。(正直そう思っている人は数多くいると思います。)

そんな中、ひっそりと終了するものもあります。

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今まで、東北と首都圏の境目として君臨し続け、青春18きっぷ期間中には「黒磯ダッシュ」とまで揶揄された黒磯駅のデッドセクションが本日を持って終了します。
東北本線の電化から続けられてきた長い歴史に終止符が打たれるのです。


デッドセクションとは、電化された鉄道において、異なる電気方式や会社間の接続点に設けられる、架線に給電されていない区間・地点のことを言います。死電区間とか無電区間という言い方もします。

デッドセクションには2つの方式があって、セクション通過直前でマスコンをノッチオフ(ノッチ戻し)することで主回路を開放し惰性で走行して、直後に運転士がスイッチまたはレバーを手動で電気方式を切替えてからデッドセクションを通過する「車上切替方式」と駅構内で架線に流す電流を切替える「地上切替方式」の2つの方式があり黒磯駅は後者の地上切替方式による切り替えが行われています。

ちなみに、黒磯駅のデッドセクションは日本で唯一の地上切替方式によるデッドセクションです。(ダイヤ改正以降は車上切替方式に変更されます。)


かつては優等列車でさえも全列車が黒磯に停車し機関車を交換したり、電源を切り替えたりしてきましたが、485系やEF81電気機関車等が出てきてからは黒磯駅の全列車停車はなくなりました。しかしそれでも、黒磯駅の交直切り替えはあり自動列車選別装置を取り付けていないと通過することはできなかったのです。
今や黒磯を通過する夜行列車や特急は無くなってしまったので、その装置を使用することもなくなってしまいました。

黒磯駅のデッドセクションと言えば、今年6月E721系交流電車に直流を流してしまい床下機器から発煙が生じる事故が起きており、度々問題となっていました。
(原因は、駅係員が6番線の貨物列車と誤り5番線の交流普通列車の架線に直流を流し、機器がショートしたことによる。)

そいうい複雑な問題がある黒磯駅なので、デッドセクションの場所を黒磯駅構内から黒磯~高久間に移して事故の発生を防ぐ方針に転換しました。

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その工事が、完成し明日のダイヤ改正からは交直両用の勝田車両センター所属のE531系3000番台とキハ110系気動車に置き換えられます。

それにより今まで来ていた701系とE721系は黒磯に来られなくなります。

今までは黒磯~郡山へと行けたものが、今後は黒磯~新白河、新白河~郡山という具合に分断されてしまいます。

なぜ、新白河で系統分離する必要があるのか?私には理解不能なんですけどね~
なぜ、E531系を郡山まで運転させないのか?本当に疑問でしょうがありません。

ここで、黒磯駅で見られたいつもの光景を見ておきましょう!

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仙台方面から来たEH500はここ黒磯で全列車が停車します。

イメージ 2

信号は赤を現示しており、下にある架線電源識別標識は横に赤色2灯で交流が流れていることを示しています。

これより、交流から直流に切り替えるためEH500は・・・

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このようにパンタグラフを全部降ろします。この間に直流へと電源を切り替えます。

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電源が直流に切り替わると信号は青色を現示し、架線電源識別標識は縦に白色2灯が点灯し直流に切り替わり、EH500はパンタグラフを再び上げます。

パンタを上げると架線からはバチバチと火花をチラシます。
そして、定刻になると黒磯を後にして首都圏や関西方面へと旅立っていくのです。

そんな光景はもう黒磯で見ることは出来なくなります。

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デッドセクション標識を通過していく205系・・・
E231系は黒磯駅を出ると電気が消えてしばらくすると再び点灯すると言う光景ももう見られなくなるのです。

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今後は、E531系が常磐線の取手~藤代間みたいに走行中に直流から交流へと切り替わります。

さよなら黒磯駅のデッドセクション
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