Project JRS公式ブログ

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カテゴリ: ┣あの頃の思ひ出


本日、JR東日本では前代未聞の20時で全線運転見合わせを発表するという状態となっている今日このごろですが、久しぶりに書いていきたいなと思います。台風関連の情報については後ほど公開できれば致します。


忘れ去られた書庫を今再び、解き放つ!

皆さんは覚えているだろうか?
21年前の今日が何の日かを・・・

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↑日本海ファクトリー様へリンク↑

そう21年前の今日、かつて上野と長野・妙高高原・直江津間を結んでいた特急「あさま」が廃止されたのと同時に信越線横川~軽井沢間が廃止された日が9月30日なのです。

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では、その特急「あさま」の歴史と66.7‰という急こう配がある碓氷越えがどれだけ大変だったのかをご説明していきたいと思います。

①「あさま」の名称登場!

「あさま」という名が付いたのは1961年3月のことです。当時は小諸~新潟間(小諸~長野間普通列車)の準急列車として名付けられました。(特急あさまとは別物)

その年の10月には往年の名列車と呼ばれた「白鳥」がキハ82系で上野・大阪~青森間の運転が開始された。ちなみにこの「白鳥」が信越本線では初の特急とされている。

翌年12月、上野~長野間の夜行準急「妙高」を「あさま」に変更する。

翌年1963年10月、最初に登場した準急「あさま」が急行に格上げされて「丸池」に変更。区間も直江津~新潟間に短縮。(長野~直江津間普通列車)
同じダイヤ改正にて碓氷峠区間の横川~軽井沢間がアプト式から粘着運転方式の複線運転が開始します。(同年7月に単線として粘着運転は開始しています)

②難所:碓氷峠を越えろ!

ここで、江戸時代から最大の難所と言われてきた碓氷峠もとい碓氷越えの歴史を簡単にご説明します!

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鉄道においても碓氷峠を越えることは早くから重要視され、上野~横川間が1885年に、さらに軽井沢~直江津間が1888年に開通すると横軽区間が輸送のボトルネックとなり、東京と新潟の間の鉄道を全線開通させることが強く望まれていました。
当時の機関車の能力では粘着式鉄道にて通過困難な勾配があり、スイッチバックやループ線などを設ける方法では対処できなかったためラック式鉄道を模索し、その方法が採用された。1891年3月に工事を着工、着工からわずか1年9か月後の1892年12月22日に工事が完了し、翌1893年4月1日に官営鉄道中山道線(後の信越本線)として横川~軽井沢間が開通した。

11.2 kmの間に18の橋梁と26のトンネルがあるため開業当時は、煤煙の問題から、乗務員の中には吐血や窒息する者が現れ、1911年に横川駅付近に火力発電所が設けられて1912年には日本で最初の幹線電化が行われました。

電化により碓氷線の所要時間は80分から40分に半減して輸送力は若干増強されたが、輸送の隘路であることは変わらず、「東の碓氷」は「北の板谷」、「西の瀬野八」などと並び、名だたる鉄道の難所として称された。

太平洋戦争後は輸送隘路の解消のため最急勾配を22.5 ‰(約1.3度)とする迂回ルートも検討されたが、最大66.7 ‰(約3.8度)の急勾配は回避せず一般的な車輪による粘着運転で登降坂することになり、1961年に着工し1963年7月15日に旧線のやや北側をほぼ並行するルートで新線が単線で開通した。同年9月30日にラック式鉄道は廃止され、さらに1966年7月2日には、旧ラック式線の一部を改修工事する形でもう1線が開通し複線となった。これによって横軽区間の所要時間は旅客列車で40分から下り列車は17分、上り列車は24分に短縮されました。

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しかし電車・気動車・客車・貨物を問わず単独での運転は勾配に対応できず、補助機関車として2両を1組としたEF63形を常に連結することとなった。勾配を登る下り列車(横川→軽井沢)を押し上げ、勾配を下る上り列車(軽井沢→横川)は発電ブレーキによる抑速ブレーキとなるという機能であった。そのために必ず勾配の麓側にあたる横川側に2両が連結された。

碓氷峠の抜本的な輸送改善は、1997年の北陸新幹線高崎~長野間の開通によってなされた。その際、信越本線の碓氷峠区間は、長距離旅客が新幹線に移行する反面で県境を越える即ち住環境を跨ぐローカル旅客数が見込めないことや、峠の上り下りに特別な装備が必要で維持に多額の費用がかかるとして、第三セクター鉄道などに転換されることなく廃止され104年の歴史に幕を閉じた。
北陸新幹線は碓氷峠を迂回するように建設されているが、こちらも30‰(約1.7度)の勾配が連続しているため、勾配対策が施された車両じゃないと入線することが出来ない。

以上が簡単な碓氷峠の歴史である。

③特急「あさま」の登場!

ここまでは、まるっきり別物の「あさま」の話ですが、ここから上野~長野間の特急「あさま」が登場します!

1966年10月1日、上野~長野間に特急「あさま」が2往復で運転を開始します。車両は田町電車区(現:東京総合車両センター田町センター)所属の181系が充当されました。

1968年10月、俗に言うヨンサントオのダイヤ改正で3往復に増発と同時に1往復が東京発着になり、さらに1往復が直江津発着になる。

1969年7月、「あさま」の車両を田町電車区から長野運転区に移管。10月には初代「はくたか」が上越線経由へと変わった。

3年後の1972年3月、「あさま」が5往復に増発。そのうちの2往復が直江津発着となる。同時に「白山」が特急へ格上げ。10月にはエル特急の指定を受ける。(この当時のエル特急の定義は、特に意味はなく、特急 (Limited Express) や直行便 (Liner)など「数(かず)自慢、かっきり発車、自由席」をコンセプトとしていた。)

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1975年10月、1966年から使用してきた181系に変わり、新製の189系に置き換えられる。(189系電車は489系電車同様に横軽区間でEF63形との協調運転により最大12両編成での運転が可能となり輸送力増強が実現した。)

これ以降、列車の統廃合が加速、急行「志賀」や急行「妙高」が廃止され「あさま」へと統合されていく。

1985年3月、急行「信州」「軽井沢」が「あさま」に置き換えられ、15往復へと増発します。翌86年には更に2往復増発し17往復へ!

2年後の1988年3月には11両編成になる。

平成に入り1990年からは、シートピッチが拡大されたグレードアップ車両が導入される。1993年には更に1往復増発し、全19往復の全盛期を迎えるが、同時に終焉も近づきつつあった。

全19往復のうち4往復(下り1・11・17・29号/上り10・18・30・38号)が直江津発着(下り29号は長野から快速列車)、それ以外は長野発着でした。夏・冬季間は妙高高原への延長運転も行われていた。

全列車の停車駅は、上野・大宮・高崎・横川・軽井沢・小諸・上田・長野・黒姫・妙高高原・新井・高田・直江津となっていて、それ以外に一部列車が停車する駅が赤羽・熊谷・深谷・本庄・安中・磯部・中軽井沢・御代田・田中・大屋・坂城・戸倉・屋代・篠ノ井が一部停車する駅でした。

この中でやはり一番気になるのは、やはり現しなの鉄道の停車駅ですよね。
今やローカル線の一駅となってしまったが、かつては中軽井沢や御代田・田中・大屋等の駅が特急停車駅だったのです。

長野以北では、黒姫・妙高高原・新井・高田・直江津の比較的大きい駅が停車駅となっていた。

それ以外で注目の駅は、太字にした磯部や中軽井沢ですかね。
磯部は磯部温泉の玄関口ですし、中軽井沢は旧軽井沢などの玄関口となっているので今、特急が走っていないというのが少し寂しい印象を受けます。

④「あさま」とともに60年

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忘れてはいけないのが横川駅とともに60周年を迎える有名駅弁!「峠の釜めし」

「峠の釜めし」の製造会社:荻野屋は1885年、横川駅の開業時に創業しました。
当時は、おにぎり2個に沢庵漬けを添えたものだった。

「峠の釜めし」が誕生した経緯として、その当時の駅弁は「駅弁=折り詰め」というのが常識となっていたため、乗客としては飽き飽きしていたそうです。
そこで、当時の社長が乗客の意見を聞いて回った結果、『暖かく家庭的で、楽しい弁当』という意見が大半で、その意見をどのようにしてそれを駅弁に反映するかを考え、弁当と一緒に販売する緑茶の土瓶に着目。当時の駅で販売されていた緑茶の土瓶は陶器製であったが、陶器は保温性にも優れていた上、匂いも移らないため、「暖かい」「楽しい」という要望をクリアできる。
さらに、「中仙道を越える防人が土器で飯を炊いた」という内容の和歌にヒントを得て、早速益子焼の職人に相談し、一人用の釜を作成することにした。

こうして1958年2月1日に誕生したのが「峠の釜めし」です。

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特急「あさま」が廃止となった以降も、車内販売で「あさま」(現在は販売終了)や「はくたか」で販売されている。
それ以外にも、直営店やドライブイン・碓氷峠鉄道文化むら・横川SAの営業等多岐に営業して販売を続けている。

この元祖駅弁を食べるのも横川・軽井沢の醍醐味の一つじゃないかな~と思っております。

⑤特急「あさま」の終焉とその後の189系

19往復という全盛期の終焉は、突如として訪れる。19往復になってたった4年後の1997年9月30日、北陸新幹線高崎~長野間(長野新幹線)先行開業に伴う横川~軽井沢間廃止により、在来線特急「あさま」及び「白山」の運転が終了した。

しかし、「あさま」という名は新幹線の名称へと変わり現在もなお、東京~長野間の新幹線として運転を続けている。

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一方で189系電車は、「あさま」としての任務を終え、廃車が加速していきましたが一部車両は長野に残り臨時「あずさ」や「みのり」快速「妙高」や臨時列車に使用され近年まで運転をし続けていたが、現在は長野に残るN102編成のみとなっている。

この車両は、横軽区間を知る唯一の生き証人で長野から転属したことがないという生粋の長野車である!

初代新幹線「あさま」のE2系よりも長く生き続けている189系N102編成ですが、老朽化は著しく今年度中には引退になるようです。

最後に、碓氷峠の部分で説明しましたが、軽井沢~直江津間は1888年に開業したということで今年で130周年の節目の年を迎えます。
現在、信越本線は「高崎~横川」「篠ノ井~長野」「直江津~新潟」と分断されてしまいましたが、今なお「軽井沢~篠ノ井」「長野~妙高高原」のしなの鉄道、「妙高高原~直江津」までのえちごトキめき鉄道(ETR)と会社は変わってしまいましたが現存しています。関係のある3社(JR東日本長野支社・しなの鉄道・ETR)が共同で信越本線130周年記念のイベントを10月より開始します!

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横軽区間を知る生き証人189系N102編成を用いたイベント列車も運行する予定だそうです。またしなの鉄道からは115系初代長野色+湘南色で運転が予定され、豊野では189系と115系の共演が見れるそうです!

横軽廃止から21年、信越本線軽井沢~直江津間開業から130周年・・・
この機会に旧信越本線を巡る旅をしてみてはいかがでしょうか?

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↑鉄道コムランキング参加中 特急「あさま」についてもこちらで↑


約1年半ぶりにこの書庫を使うような気がします・・・

さて、今日何故書庫とこの題材にしたのかというと・・・
13年前の今日!2002年11月30日に人気絶大だった名列車「はつかり」が引退したのです。
だからこそ、この話題をお届けするのです!

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上記写真は函館駅でリバイバルで復活した「はつかり」と後継列車の「スーパー白鳥」が並んだ奇跡の1枚です。

今でも「はつかり」という名称は絶大な人気を誇ります。
東北新幹線八戸延伸の新列車名も、新青森への開業時のE5系の愛称も「はつかり」は投票1位でした。
そもそも、「はつかり」という列車名の由来は・・・
秋に東北地方などに飛来する雁の群れをさす初雁が由来となっています。

八戸延伸時、ファンの間では「はつかり」が新幹線名になるだろうと誰しもが思っていたにも関わらず、JRは予想に反して「はやて」という名称が採用されてしまい、落胆していた方も多かったかと思います。
(確か、「はやて」という愛称は下位にランクしてたはずです)

また、新青森開通後の新型車両の名称も今度こそ復活するのではという淡い期待もありましたが、結果は2010年春に廃止された「はやぶさ」が新幹線名になるというこれまた予想外な展開が起きてファンをびっくりさせました。
(尚、新幹線「はやぶさ」に関してはJR九州にちゃんと許可をとったようです。)

ことごとく、東北の人たちの思いを踏みにじった結果が今の東北新幹線の列車名ということです。
おそらく、東北を駆け抜けた列車が新幹線名になたのは東北系統は「やまびこ」のみ、山形新幹線も含めると「つばさ」もそうなるかもしれません。

そう、あれから13年・・・
かつて、東北を駆け抜けた名列車はだんだんと薄れつつあります!
だから今思い返して欲しい。東北を駆け抜けた名列車を・・・

それでは、そんな名列車を今から振り返って行きましょう!


皆さん、「はつかり」がデビューしたのいつかご存じですか?

「はつかり」全盛期

実は、今から約半世紀ほど前の1958年に遡ります。
特別急行列車「はつかり」として、東京方面と北東北および北海道間の連絡列車の一翼を担う東京以北初の特急列車として1958年10月1日に上野~青森間で運転を開始したのが始まりです。
当時は、常磐線・東北本線経由で運転されておりC62(上野~仙台)・C61(仙台~青森)+スハ44系・10系・マシ35形客車の8両で運転されていました。
ちなみに盛岡~青森間はC60を補機として重連で運転していたそうです。
停車駅は上野・水戸・平(現:いわき)・仙台・一ノ関・盛岡・尻内(現:八戸)・青森のみ

約2年間客車で運転された「はつかり」は1960年12月当時日本初の気動車特急としてキハ81系気動車で運転を開始しました。
当時としてはかなりのハイスペックな気動車で、模型とかで見たことある人も多いかと思いますが先頭車がボンネット型になっていて物凄いエンジンを搭載していたのがこのキハ81系です。


8年後の1968年9月、今でも現存している583系に置き換わります。翌10月1日俗に言うヨンサントオのダイヤ改正で東北本線が全線電化開通したことにより、常磐線経由から東北本線になり所要時間も10時間45分から8時間30分と2時間短縮したことにより1往復増発されました。
1970年10月には急行「八甲田」が「はつかり」に統合され全3往復に増発されます。

1973年3月1日、485系が登場しさらに1往復増発して4往復体制になります。
さらに10月にも臨時が定期化し1往復増発され5往復に・・・

1978年10月、俗に言うゴーサントオのダイヤ改正で「やまびこ」1往復を青森までに延伸させ「はつかり」に統合、これにより6往復へとなります。この改正から自由席が連結されるようになりL特急になります。
末期の停車駅は上野・大宮・宇都宮・郡山・福島・仙台・小牛田・一ノ関・水沢・北上・花巻・盛岡・一戸・北福岡(現:二戸)・三戸・八戸・三沢・野辺地・浅虫(現:浅虫温泉)・青森となっていた。

ちなみに、485系・583系は12~13両編成で運転されていました。
だから、青森駅のホームがあんなに長いんです。
さらに当時は通称青森ダッシュと呼ばれる青函連絡船への乗り換え客が多かったため、停車位置は北海道側に設定されていたのです。
しかし、青函連絡船が無くなった今では出口に近い方に停車位置を修正しています。

新幹線接続列車へ

華やかだった時代は一瞬にして覆される・・・
1982年11月15日、東北新幹線の開業によって上野~盛岡間が区間廃止され盛岡~青森間へと縮小されます。
同じく東北を一緒に駆け抜けた「やまびこ」は東北新幹線の列車名として復活を遂げる。

1988年青函トンネルの開業により「はつかり」2往復が函館へ乗入れるようになります。

JRになった1993年12月、1968年から走り続けてきた583系が定期列車から引退し485系のみとなりました。(臨時・代走は583系で運転)

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3年後の1996年3月485系をリニューアルした485系3000番台が運転開始します。
側面の「North East Express」がカッコイイですよね!


2000年3月盛岡・青森間の速達化を目的にE653系に似た交流線用の特急車両E751系が運転を開始し、E751系で運転する列車には「スーパーはつかり」と命名されました。(途中停車駅は八戸・三沢のみ)
また、L特急の指定も会社の方針により解除されます。

「はつかり」から「白鳥」へ

そして、2002年11月30日・・・
翌日の東北新幹線八戸延伸を控え、盛岡や青森・函館ではセレモニーがとり行われ、約44年間みちのく路を駆け抜けた名列車は静かに幕を閉じました。

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「はつかり」に変わり新たに八戸~函館間の新幹線アクセス列車に命名されたのは2001年まで大阪~青森間を結んでいた名列車「白鳥」の名が選ばれました。
JR北海道の新型車両で運転される列車は「スーパー白鳥」従来通り485系・485系3000番台で運転される列車は「白鳥」と名前が分かれるようになりました。

2010年には東北新幹線が新青森まで延伸したことにより、区間がさらに縮小され新青森~函館間になる。

そして、来年2016年3月・・・
ついに北海道新幹線が開通し北海道→新幹線アクセス列車としての役割を終え、約34年間「はつかり」(約20年)→「白鳥・スーパー白鳥」(約14年)の新幹線アクセス列車も終焉となる。

今後は今まで新幹線と無縁の存在だった「スーパー北斗」が新幹線アクセス列車の立場を担うことになる。


東北を駆け抜けた名列車は復活を遂げぬまま13年の月日が流れました。
「はつかり」の名が再び復活することを私は待ち望んでいます。

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今日で大阪の交通科学博物館閉館となりましたね~

色々と探しものをしていたら、交通科学博物館の記念メダルと記念スタンプを見つけましたので、後日公開します。

と、いうことで・・・
今回も前回に引き続き、583系 急行「きたぐに」をお届けします。


漆黒に包まれた新潟駅に583系が進入してきた。

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485系天国の新潟に583系が入ってくる。

到着して、程なくすると新潟到着の485系が入ってくる。
485系と583系の見事な共演・・・(並ぶことはなかったが・・・)

これが見れたのは、ここ最近ではここ新潟のみである。

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新潟の電光案内は跨線橋にあり、あまり見られない「急行」の文字が見ることが出来る。

さて、急行「きたぐに」の停車駅を見ておきましょう。

定期運用時代は・・・
大阪駅 - 新大阪駅 - 京都駅 - 大津駅 - 彦根駅 - 米原駅 - 長浜駅 - 敦賀駅 - 武生駅 - 福井駅 - 小松駅 - 金沢駅 - 高岡駅 - 富山駅 - 滑川駅(下り) - 魚津駅 - 黒部駅(下り) - 入善駅(下り) - 泊駅(下り) - 糸魚川駅 - 直江津駅 - 柿崎駅 - 柏崎駅 - 来迎寺駅 - 長岡駅 - 見附駅 - 東三条駅 - 加茂駅 - 新津駅 - 亀田駅(下り) - 新潟駅

となっています。
ここで注目すべき駅を赤字にしておきました。
まず、米原は大阪発の列車で米原経由の特急・急行列車はこの「きたぐに」のみだったという点。(通常、北陸特急のサンダーバードは強風時以外は湖西線を経由するため)

同様な理由から、北陸本線米原から2つぐらい先の駅である長浜にも停車するというのも注目ポイントです。長浜には名古屋~北陸を結ぶ「しらさぎ」が停車するので大阪発の列車が停まるのはまず無い!

滑川・黒部・入善・泊と富山の大規模とまでは言えないが「北越」と一部の特急が停まる駅に停車するのもポイントの一つです。ただ、この「きたぐに」が走行する時間帯は深夜です。下りとはいえ大阪発は新潟発より遅い時間なので、深夜にもかかわらず停車していた・・・と言うのは正直すごいと思う。一定の利用客があったということなのでしょうかね?「北越」の最終的な意味合いがあったのか・・・

私が一番注目しているのは、太字にした来迎寺駅です。この駅乗り換えもなければ何もへんてつもない駅です。しいて言えば住宅街なのか?
たしかに、昔は魚沼線と越後交通長岡線が分岐していたので隠れたターミナル駅であたのは事実ですが・・・
その駅になぜ急行が止まっていたのか?最近では、快速「くびき野」にすら抜かれる駅なのに、急行が停まる???
まったくもって、謎すぎる・・・

この現象は、今の「おはよう信越」でも継承おり、現在も来迎寺に停車するのです。多分ですが、通勤時間帯?に通過したという点で、来迎寺から長岡・新潟方面への快速的な意味合いもあったのだと考えられます。

こう、謎もあった急行「きたぐに」の車内で注目すべき車両はグリーン車と自由席です。

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グリーン車は特に言うことはないですね?

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むしろ自由席です。
見てください!このかつての583系を彷彿させる使い方!
この状態の583系はあまり見れないんですよね~
最近は寝台利用に一本化されて、座席状態の姿がなかなか拝めない!

定期運行時代は、ここに直江津や糸魚川から乗ってくる人を乗せて新潟へと走っていったわけです。この座席なら、普通の近郊電車と同じように使えるので、利便性はありますよね!ただ、料金が高いですがw


と、このように・・・A寝台、B寝台、グリーン車、自由席と様々な使い方ができたから、ここまで走れたんだと思います。

おっと!忘れていました・・・
最後に、急行「きたぐに」最後の勇姿!
大阪駅発車シーンを御覧ください!



残念ながら、廃止となりもう走行シーンを目撃できないのは非常に残念なのですが、貴重な583系の勇姿はJR東日本で見ることが出来ると思います。

まだ見たことがない方は、JR東日本管内で見てみましょう!

ということで、583系急行「きたぐに」話題をお届けしました!
また次回もお楽しみに!

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今日は、久しぶりにこちらの不定期連載企画をお届けしたいと思います。

つい先日まで583系の話題をお届けしたので・・・
その一環としてやらせていただきます。

今日紹介するのは、JR西日本が2012年まで運転させた、583系電車寝台の急行「きたぐに」です。
最後に動画と音声も紹介するのでぜひ最後までご覧ください。

さて、急行「きたぐに」は京阪神と新潟を結ぶ夜行列車でした。

2012年春のダイヤ改正で利用客減少のため臨時降格し、2013年1月の臨時「きたぐに」を最後に廃止され。
京キトに所属する583系は用途不要となり、先頭車クハネ581形のみ残し吹田工場に回送され廃車されました。

急行「きたぐに」の歴史を簡単に紹介いたします。

もともとは、大阪~青森を結ぶ列車として登場しました。ヨン・サン・トオのダイヤ改正で現在は廃止されてしまった寝台特急「日本海」が運転を開始し、同じ区間走行の急行「日本海」を「きたぐに」と名称を変更しました。
この大阪~青森を走る急行「きたぐに」が変わったのは、1982年の上越新幹線開業でした。

この上越新幹線開業で、区間が大阪~新潟に短縮されます。使用車両も12系客車から14系客車へ・・・

さらに3年後の1985年のダイヤ改正で583系に車両が変る。
また3年後の1988年に下りの新潟行きのみ新津~新潟間が快速運転となり、亀田駅が停車駅に追加される。

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JRとなり1994年に同じ区間を走る寝台特急「つるぎ」が臨時列車化される。96年には「つるぎ」が廃止となり、京阪神と新潟を結ぶ唯一の夜行列車となる。

その後も急行がでんどんと廃止されていき、2011年には同じ電車急行であった「能登」も廃止され、JR北海道の急行「はまなす」とともに数少ない急行列車となっていた。

その急行「きたぐに」も引退時期は近づき2012年春のダイヤ改正で定期運行を終了し、運転開始当時から米原・北陸本線経由で運転されてきた急行「きたぐに」は湖西線経由となり、米原を経由しなくなる。

臨時「きたぐに」も長く運転されることはなく翌年1月の列車を最後に、廃止を発表された。

車両は言わずと知れたゴッパーサンで有名な583系を使用していました。
側面には・・・

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このように「急行」のサボ

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「きたぐに」のサボが付いていました。

1991年よりJR西日本色への塗装変更により国鉄色からどんどん塗装変更されていきました。

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側面には、ロゴマークがあり当初はシュプールとか書いてありましたが、現在では「きたぐに」のみの使用となったことから「Kitaguni Express」とロゴが付いています。


少し長くなりそうなので、今日はこの辺りで終了したいと思います。
停車駅について、車内についてはまた明日公開していきたいと思います。

最後に・・・
大阪駅停車中の「きたぐに」停車中案内放送を公開します。
尚、最初の部分(「11番のりばに・・・」の部分です)が途切れています。予めご了承ください。



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書いている最中に、突然の悲報が舞い込み少しショックを受けております。

ホント最近は書ける鉄道ネタがなくて困っているんですよね~w
仕方なく、今週の1話目に続き、第2話目も書いていきたいと思います。

今日の題材は、東海道新幹線の発達によって用途不要となってしまった。特急「ワイドビュー東海」です。

もともとは、1955年に運行を開始した東京~名古屋を結ぶ準急「東海」で、1966年に急行列車に格上げされ、1972年に静岡~名古屋が廃止され東京~静岡の急行列車となる。

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1996年に特急列車にさらに格上げされ、それと同時に165系から373系に置換えられる。新幹線と並行する区間では数少ない昼行特急として、東海道新幹線の補完輸送の役目を担い、新幹線が停車しない沿線各駅に対して乗換不要サービスを提供していましたが、2007年春のダイヤ改正で利用客減少に伴い廃止された。

その後、特急「東海」の補完列車を担っていた普通電車の静岡行きも2012年春のダイヤ改正で廃止され静岡への直通列車は新幹線以外無くなった。

特急に格上げされた年に、名称も他のJR東海の特急と同様に「ワイドビュー」が付けられるようになり、特急「ワイドビュー東海」として運転していた。

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特急「東海」の停車駅は・・・
東京、品川、川崎、横浜、大船、平塚、小田原、湯河原、熱海、三島、沼津、富士、清水、静岡でした。

普通列車もそうですが、両列車とも熱海で乗務員が交代します。

廃止当時は1日朝夕の2往復が運転されており、特急「踊り子」が止まらない平塚にも停車していた。

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ヘッドマークは、富士山に太平洋の荒波を表したデザインとなっていました。
撮影当時はまだコンデジしか持っていなくてズームがこれだけなのが少し残念なところですね・・・

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今やJR東日本管内にJR東海の373系が、入線することは無くなってしまいましたね~この「静岡」の文字も見れなくなってしまいました。

この特急「東海」廃止後も2012年春のダイヤ改正まで運行を続けていたのが、普通列車の静岡行きです。

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1996年の「東海」特急に格上げ時から運行を続けており、一昨年までは373系で運転されていました。
上でも書きましたが、今は廃止されて373系が東京駅に姿を見せることはなくなりました。

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朝の下りと夜の上りの1往復と特急「東海」の2往復が静岡へのアクセス列車でした。
静岡行き普通が廃止されたあとは、E231系が沼津まで運転しており、沼津からはJR東海の車両で静岡まで運転しいるとのことです。

普通列車で特急の車両に乗れるということから、青春18きっぷ期間中は混雑していたとのこと。
東海道線の東京からの始発列車っていうこともあり、終始混雑していたのが記憶に残っています。

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特急であることから2ドアであり、373系を3本も繋げているという豪華な編成でした。
まぁ、東海道線の始発でE231系よりも収容力は低いですからね~当たり前といえば当たり前ですよね。

特急「東海」は乗ったことはありませんが、普通列車静岡行きは1度だけ乗車したことがありますが、すごかったですね~混雑率が・・・
特に横浜から乗ってくる人が多かった。横浜からJR東海区間とか乗ってる人も居ましたから。

ただ、やはり沼津から先は減り始める感じでしたね。

まあ、乗ってて思ったのは東海道線の始発が2ドアっていうのはダメかな~って思ったんですよね。通路にも立ち客が出るぐらいの混雑率でしたから・・・

特急車両で立ち客が出る訳ですから・・・あまり見たことがない光景でしたね。
言うなれば、3連休最終日の特急「スーパー白鳥」の自由席みたいな状態でしたねw

結果的に言えばE231系になって正解だったと言いたいですね。
しかし、もう夜間に373系が田町車両センターに留置されることがないっていうのは寂しい気がしますね。

ということで、第2話は2007年に廃止された特急「ワイドビュー東海」と2012年に廃止された、普通静岡行きの話題をお届けしました。

次回もお楽しみに!

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