昨日よりブログを再開しまして今月2度目の更新となります。

さあ、20年前の今日・・・
JR東日本で初めて部分廃線となった路線があります。
皆さんご存知の信越本線です。

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現在は、高崎~横川間の信越本線(高崎地区)と篠ノ井~長野までの(長野地区)、直江津~新潟までの(新潟地区)と3分割されてしまいましたが、20年前の今日までは高崎~新潟までを結ぶ幹線でありました。

急行能登や特急白山、特急あさま等数多くの列車がこの信越本線を経由し金沢や青森などに向かっていきましたが、翌10月1日長野新幹線が開業したことにより、横川~軽井沢間は廃止となり、軽井沢~篠ノ井間はしなの鉄道へ移管されました。

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時は流れ2015年3月14日・・・
北陸新幹線が金沢まで延伸開業し、信越本線はさらに縮小を余儀なくされます。
長野~妙高高原間はしなの鉄道北しなの線へ移管され、妙高高原~直江津間はえちごトキめき鉄道妙高はねうまラインへと移管されました。

こうして、信越本線は分断されたのです。

今日は営業最終日ということもありますので、少し当時を振り返っていきたいと思います。
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やはり、信越本線を代表する列車といえばこれ189系 特急「あさま」です。
皆さん覚えてますか?当時特急あさまは何往復していたか?

正解は:19往復です!その内4往復が直江津発着の列車で、1往復が季節限定で妙高高原まで延長運転、それ以外はすべて長野発着となっていました。

そして、特急あさまの陰に隠れていましたが同じく碓氷峠を越えていた特急が「白山」と急行「能登」です。
特急白山は廃止となりましたが、急行能登は経由線区を高崎・上越線経由に変更し2012年まで運転された。

ちなみに、この特急あさま等の廃止が上野駅衰退の元凶を作っていたのは言うまでもない。(あさま分の特急が減少したため18番線が廃止となった)

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碓氷峠鉄道文化むら正面に展示してある189系のウラにはこのようなものが残っていました。
「長ナノ」は現在も現存している北長野にある長野総合車両センターのことですが、注目してもらいたいのは下の方の「長総車所」です。
平成4年当時はまだ「長野総合車両所」って言われてた当時だったんですよね~

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そうそう、忘れてはいけないのが現在長野総合車両センターに所属する最後の189系N102編成は生粋の長野車で通常他線区に移籍することが多い189系の中で唯一他の場所への転属経験が無い車両となっています。
だからこそ、長野支社が廃車にしなかったのかもしれませんがね~

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そして碓氷越えで忘れてはいけないのが陰ながらの功労者であるEF63である。
別名:峠のシェルパとかロクサンという愛称も持っています。

碓氷峠専用の機関車として開発され、長年続いたアプト式から粘着運転(通常の運転方式と同じ)を可能にした強力な機関車です。

常に、2両1組で運転され、機関車は必ず横川側に連結し下り列車では碓氷峠を登るための補助を行い、上り列車では勾配による列車の加速を防ぐ役割を担っていました。

現在は、碓氷峠鉄道文化むらで4機が動態保存されています。

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EF63側面にある所属標の「横」(横川機関区)の文字は20年という歳月を経て消えそうになっています。
そして、当時の大宮工場で最後に整備したのは平成8年12月です。

あれから21年・・・
碓氷峠鉄道文化むらの職員たちにより延命を図っていますが、老朽化は本当に激しいものです。いつまで走り続けられるのか本当に予断を許さない状態です。
そんな中、碓氷峠鉄道文化むらでは窃盗被害等も起きているようです。

碓氷峠に鉄道があったという鉄道遺産ですから丁寧に扱ってもらいたいものですね。


碓氷越えとまで言われ日本鉄道史上最大の難所だった横川~軽井沢間廃線から20年・・・
忘れかけた碓氷峠の鉄路の現状を振り返って行きましょう・・・

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