2018年年度末となった今日!
夕張メロンで有名な夕張市の夕張駅~石勝線の新夕張駅を結ぶ石勝線夕張支線が126年という歴史に終止符を打ちました。
あいにく、北海道によく行く私もこの線だけは乗ったことないんですよね~
だから思い入れが有るかというと無いのですが、やはり昨年の三江線と同じように鉄路が無くなるというのはなにかと悲しいものです。
そんな石勝線夕張支線の歴史を簡単に振り返っていきましょう!
ときは、1982年11月・・・
北海道炭礦鉄道室蘭線の支線として、追分駅~夕張駅(初代)<現在とは異なる場所>間が開業したことから始まります。
その名の通り、もともとは石炭を輸送するためだけの路線でした。
1906年10月・・・北海道炭礦鉄道室蘭線が国有化されます。
1909年10月には国有鉄道線路名称制定に伴い、追分駅~夕張駅(初代)間および紅葉山駅~楓駅(初代)間が夕張線という名称を与えられます。
けっこうな年代の方だと、夕張線のほうが知っているという方も多いようです。
その後、増加から複線化されたのに減少により単線化という経緯を経たのち、準急「夕張」という列車も運転されました。
1972年・・・格上げされた急行「夕張」が廃止となり、優等列車は石勝線開業までなくなります。
1981年に、千歳空港(現:南千歳)~追分間、新得~新夕張間が開業したため、名称が石勝線の支線という扱いになる。
その4年後の1985年10月に夕張駅の位置が約1㎞ほど手前の旧夕張鉄道 夕張本町駅跡地に移設された。
移転の理由としては、初代の駅舎が夕張市内から少し離れた場所にあったということで、市の中心部に駅を移設することになったため。
(当初は石炭輸送を目的としていたので炭鉱の近くに駅を設置していたから)
民営化され、1990年観光・リゾートに特化した夕張市はさらに約1㎞ほど手前にあるホテルマウントレースイ前に駅を移設することになり現在に至る。
それに伴い、1面1線の棒線化した質素な終着駅となってしまった。。。
2004年3月には北海道で最後まで現役だったタブレット閉塞と腕木式信号機がなくなりました。
それからも夕張市が財政破綻したりしましたが、鉄路だけは残りましたが、やはり人工の減少には歯止めが効かず、経費削減、利便性向上を掲げる夕張市とJR北海道が会談を行い2016年8月8日夕張市が廃止を条件付きで容認した。
当時としては、市側からの廃止容認ということで記事をざわつかせたのを皆さんも知っているでしょう。
(基本的には鉄路が廃止になる場合、沿線自治体は反対するものですからね)
これにより、廃止手続きが加速する!
2018年3月26日・・・
国土交通大臣に新夕張~夕張間の16.1㎞を廃止するという「鉄道事業廃止届」を提出し2019年4月1日付(最終運行は3/31まで)で廃止することが確定!
そして、本日19:28・・・
夕張発追分行きの最後の列車が発車し126年という歴史に終止符が打たれた。
紆余曲折あり、かつて私鉄だった夕張支線でしたが、126年という長い歴史を夕張市とともに歩んできました。
徐々に衰退していくかつての炭鉱の街・・・夕張市が観光、メロンで有名な街へと変貌する様を見続けたのです。
夕張支線は無くなりますが、石勝線も見どころ満載です!
前述のように、新夕張駅はかつては紅葉山駅という名称でしたし、その隣駅だった楓駅(現:楓信号場)も移設を繰り返しているので、石勝線の途中駅で降りてみるのも良いかもしれませんよ!
もちろん、そのついでに夕張にも足を運べば地域振興に繋がるのではないかと思います。
これが終わりじゃありません!これから新たな夕張市がスタートするのです!