Project JRS公式ブログ

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2018年10月


今日は小坂鉄道レールパーク内の「ブルートレインあけぼの」より、記事を書いております。

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「あけぼの」で使用されていた24系が小坂鉄道レールパークに運ばれたというのは3年前に話題となりましたが、今回やっと「あけぼの」の宿泊予約ができたので小坂鉄道の廃線跡を探すのと同時に色々と貴重な経験をさせてもらえました。

今日はその小坂鉄道レールパークがある小坂鉄道について書いていきたいと思います。

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小坂鉄道=小坂製錬小坂線は小坂製錬が運営していた貨物鉄道路線で、秋田県大館市の大館駅から小坂町の小坂駅へ至る路線でした。小坂鉄道とも呼ばれていた。
1994年に旅客営業を廃止、その後2009年に貨物営業も廃止された。

この小坂鉄道という会社は1909年に創業したという歴史を持つ会社です。

その小坂鉄道の歴史は古く・・・
もともとは小坂鉱山からの産出物を馬車で輸送していたのだが、年々激増する貨物を消化できなくなり鉄道を建設することになった。

1906年(明治39年)11月30日に小坂~大館間の鉄道敷設免許を取得すると既に大館-茂内-二ツ屋(長木沢)間で運行されていた森林鉄道を譲受けこの路盤を流用することとして茂内~小坂間は新たに工事を開始、1908年(明治41年)9月15日に軌間762mmの小坂鉱山専用鉄道が開通した。これは皇太子(大正天皇)が小坂鉱山へ視察に立ち寄る一週間前であった。翌1909年(明治42年)1月に小坂鉄道株式会社が設立され、小坂鉱山から専用鉄道を譲り受けて同年5月7日に地方鉄道として運輸営業を開始した。貨物は小坂鉱山から産出される精鉱と製錬所で製錬された商品が主力であったが藤田組長木沢製材所や官営代野製材所で加工された木材、煙害により切りだされた長木沢の天然杉も全国へ輸送された。これらの輸送により大館駅の旅客貨物収入は1909年より県内一位となり1919年まで続いた。1928年(昭和3年)には24.8‰の急勾配がある茂内~小坂間を鉱山の発電所の余剰電力で電化することになり、茂内に変電所を建設し回転変流機(交流側445V直流側600V、直流側の出力250kW、常用1、予備1、製造所日立製作所)により電気を供給し、日立製作所で電気機関車2両を新製した。1949年(昭和24年)には小雪沢~茂内間を電化した。

ちなみに、この電化は東北地方初の電化だったと小坂鉄道レールパーク内に記述がある。

1958年(昭和33年)に小坂鉄道は同和鉱業に吸収合併され、同社の小坂鉄道事業所となった。

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1962年(昭和37年)、全線の軌間を1,067mmに改軌するとともに、電気運転を廃止した。762mm軌間時代は非電化区間では蒸気機関車、電化区間で電気機関車が使用されていたが、改軌とともに客貨分離と全線の内燃動力化(ディーゼル動力化)が行われた。

1989年(平成元年)に同和鉱業から小坂製錬が分離され、同社の小坂線となり、1994年(平成6年)10月1日には旅客営業が廃止された。そして前述のとおり2008年(平成20年)に濃硫酸輸送がトラックに切り替えられたため、3月に貨物列車の運転を終了、同年9月18日に東北運輸局に鉄道事業廃止届出を提出し、2009年(平成21年)4月1日に全線が廃止された。

廃止後はというと・・・
大館市側の跡地は、レール跡の敷地がDOWAメタルマイン、元大館駅構内の敷地がDOWAホールディングス、廃線後に取り壊されていなかった岱野駅、茂内駅、新沢駅などが小坂製錬の所有であったが、今後も活用する見通しがないことから、2014年4月1日に大館駅から大館市・小坂町境界までのすべての土地・建物が大館市へ無償譲渡されました。

2014年11月2日に廃線跡を利用して大手電機メーカーのパナソニックが、同社の乾電池「EVOLTA」の宣伝を目的に、EVOLTA単一乾電池99本で電車を走らせるイベント『エボルタ電池鉄道・廃線1日復活チャレンジ』を開催した。電車はパナソニックと秋田県立大学が共同開発した独自製作のもので、鉄・アルミ・特殊強化段ボールの素材で作られた定員10名程度の2軸の車両だった。当日はファンのほか地元小学校の児童らを乗せ、12時45分に旧・雪沢温泉駅付近を出発、時速6kmでゆっくり走行し途中の4箇所の停車地点を経由して、当初の目標である約8.5kmを走破した。

小坂町側の跡地は、旧小坂駅を鉄道テーマパークにする方針が小坂町によって示され、2014年3月24日に、DOWAホールディングス・DOWAメタルマイン・小坂製錬と小坂駅構内敷地を賃貸契約し、それ以外のディーゼル機関車、ラッセル車などの車両と、旧小坂駅舎、詰め所、踏切、橋梁、レールおよびレール用敷地など無償譲渡の契約を交わした。同年6月1日に「小坂鉄道レールパーク」としてオープンし、このうちディーゼル機関車・ラッセル車が一般展示されている。ディーゼル機関車、ラッセル車は展示するだけではなく実際に運転体験ができる。ディーゼル機関車を運転できるのは、日本国内の常設展示施設としては他にはない(気動車等を含めれば他にふるさと銀河線りくべつ鉄道等の例がある)。

また2015年10月31日には、同年まで臨時運行していた寝台特急「あけぼの」で使用されていた24系寝台客車を利用した列車ホテル「ブルートレインあけぼの」が開業しました。

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前述にも、触れましたが貨物営業廃止からは約10年、旅客営業廃止からは約24年という歳月を経過していますが、駅舎がいまだに残存していたり、線路や踏切など数多くのものが残されています。
そして、この鉄道会社で最も注目を集めていたものが、上の写真(腕木式信号機)です。日本国内では唯一の腕木式通過信号機が有ったというのも特筆する点です。
それ以外にも通過列車のタブレット授受を走行中にしたりとすごい鉄道会社だったのです。

次回、まだ残存している駅の紹介をしていきたいと思います!

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本日、千代田線を象徴する営団(東京メトロ)6000系が本日の運転をもって定期運転を終了!
また、昨日にはJRの209系1000番台が引退となりました。

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千代田線と言えばこの6000系というぐらい走り続けましたが、本日の午前8:11の松戸発をもってJR常磐緩行線への乗り入れが終了、夕方にはすべての運行を終える予定です。
その後は、綾瀬~霞が関間での臨時運転が11月11日までの土日限定で行われます。

現在運用されているのは6002Fと6030Fの2編成が運用されています。

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02Fの方は第1次量産車で1971年(昭和46年)に千代田線初の新系列車として大手町~霞ケ関間の開業に合わせて登場した車両です。
1972年(昭和47年)度鉄道友の会ローレル賞受賞し02Fにはそのプレートが付いている。

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30Fは、第5次量産車で1984年(昭和59年)から1985年(昭和60年)に登場した車両で千代田線の輸送力向上を目的として車両です。



一方で昨日をもって引退したのが、209系1000番台です。

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209系の常磐線は常磐緩行線と帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)千代田線の信号保安システム更新に伴う列車増発に伴い、1999年(平成11年)12月4日のダイヤ改正から営業開始しました。

従来の旧国鉄・JR車両と同様、代々木上原から小田急電鉄に乗り入れ運用はなく、JR車両を小田急線への直通運転に対応させるための改造工事はE233系2000番台が対象だったので、当車種は計画に含まれていなかった。
2016年(平成28年)3月25日まではE233系2000番台と区別されることなく共通で運用に就いていたが、同26日のダイヤ改正からE233系2000番台が小田急線に乗り入れるようになったため、現在は小田急線に乗り入れない運用に限定されていて、先頭車前面にサークルEマークが貼られています。

203系や207系が引退してあとは、E233系が増備されることとなったため、2編成しか製造されず常磐緩行線の中ではかなりの貴重な列車でした。

2018年10月13日に「ありがとう209系常磐線各駅停車引退の旅」を実施することから、常磐線各駅停車からの撤退が決定しており、撤退後は12月より、中央線快速で使用されているE233系へのグリーン車組み込み12連化に伴う工事の関係で、車両が不足することから豊田車両センターへの転属が決定している。
すでに、大宮総合車両センターではすでに先行して撤退しているマト81編成がオレンジ色に貼り替えられているのが目撃されている。

明日以降はすべての車両が小田急↔千代田線↔常磐緩行線を直通することが出来る16000系・E233系・小田急4000系の3種類のみとなってしまいます!

先ほど、綾瀬駅ではJRの運転士がメトロの社員に「撮影している人たちは何なんですか~?」と尋ねており、明日から「16000系のみになってしまうんです」という会話をしているのを目撃しました。

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千代田線を象徴する6000系の引退。いろいろな特色を持っていた6000系。その車両を見ることが出来なくなるのは少し悲しいですね。

そして209系は、あのブレーキの緩解音が良かった!かつて京浜東北線で走っていた209系0番台と同じ音がしていたから懐かしさがあったんですよね。
209系の方は中央快速線でまた活躍するようなので、中央快速線の209系1000番台も撮影してみたいですね~

最後に・・・
6000系の発車シーンと209系の発車シーンを公開します!

東京メトロ6000系発車シーン @柏

209系発車シーン @柏


209系走行シーン @我孫子~北柏

PS)
どうやら常磐緩行線内での発車メロディー不使用について動きがあったようですので、後日公開したいと思います!

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10月3日は、札沼線が全線で開通した日です!
1935(昭和10)年の10月3日、石狩当別~浦臼間が開業し、札幌駅の隣駅である桑園駅と、留萌本線の石狩沼田駅を結ぶ札沼線が全線開通しました。
路線名の由来は「幌」と「石狩田」です。

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少し過去に戻りたいと思います。

時は1931年10月10日に北側の石狩沼田~中徳富(現:新十津川駅)間(34.9㎞)が札沼北線として開業したのを皮切りに、南北双方から建設が進められていき、3年後の同日(1934年10月10日)中徳富~浦臼間 (13.8㎞) が延伸開業、翌月11月20日札沼南線として、桑園~石狩当別間 (25.9km) が開業しました。

そして、翌年1935年10月3日・・・
残りの浦臼~石狩当別間が開業しました。それに伴い札沼線と現在の名称に変更されました。

しかしこの札沼線、全通から10年も経たない1944(昭和19)年までに、「不急不要線」としてに石狩当別~石狩沼田間が休止されてしまいます。レールもはがされ、樺太での鉄道敷設に利用されました。

戦後10年ほどが経ち、ようやく1956(昭和31)年、桑園~石狩沼田間の全線で運転が再開されます。

ですが、それも長くは続きませんでした。
1972(昭和47)年6月、利用者が少なかった新十津川~石狩沼田間が廃止。札沼線は現在の桑園~新十津川間だけになってしまいます。

民営化後の1991年には「学園都市線」という愛称が設定され、「札沼線」という線名を使われることはだんだんと無くなりました。
(ちなみに、関西のは「学研都市線」です。)



そんな、波乱万丈な人生を歩んだ札沼線ですが・・・

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いよいよ、末端区間の北海道医療大学~新十津川間も廃止されるカウントダウンが始まりそうです。すでに、廃線予定沿線自治体の月形町、浦臼町、新十津川町は廃線を容認しているそうで、反対している当別町も近々容認するようです。


札沼線北海道医療大学~新十津川間(札沼北線)は、2006年11月にJR北海道が「単独では維持困難」とした10路線13区間のうちの一つです。

2018年2月に北海道の有識者会議が公表した『鉄道網のあり方』では「他の交通機関や利用の状況などを踏まえる必要」と表記され、北海道も廃止を受け入れる方針を示唆していました。同じ時期に、JR北海道は、札沼線の代替交通案を提示しています。

札沼北線の沿線には、当別町、月形町、浦臼町、新十津川町の4町がありますが、このうち当別町を除く3町はすでに廃止受け入れを表明済みです。北海道新聞2018年10月2日付によりますと、残る当別町も廃止を受け入れる方針を固め、10月中旬に開催される札沼線沿線まちづくり検討会議で4町として廃止受け入れに合意し、表明する見通しとなりました。

道新によると、「当別町の宮司正毅町長は『JRとの協議は大筋合意に至った』と話している」とのことで、廃止後の代替交通に関するJRとの話し合いも、一定段階まで進んでいるようです。(10/2 タビリス)

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問題はいつ廃止届が提出されるかが焦点になっているようです。

鉄道事業法では、路線を廃止する場合、1年前までに国土交通大臣へ届け出なければなりません。法律上は地元との合意は必要なく、国土交通大臣の通知があれば、1年以内の廃止も可能です。

過去の鉄道廃止事例では、地元と合意後、届け出をして1年後に廃止する場合が多い。札沼線についても、今後自治体と正式協議に入り、届け出から1年後に廃止するならば、スケジュール的には2020年春(2019年度末)が一つの区切りになりそうです。それより遅くなる場合でも、2021年春(2020年度末)には、札沼線の末端区間が無くなる可能性がある。。。


札沼線 北海道医療大学~新十津川間の具体的な代替案は下記の通りです。

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2018年2月16日に、まちづくり検討会議において、JR北海道は新しい交通体系の案について、石狩当別~新十津川間を以下の3区間に分けて提示した。いずれの案も代替交通の運行は地元事業者による運行を要請しているが、国・北海道の補助の活用のほか、初期投資費用と運行経費を当面の間(江差線の例を参考に18年間を想定)JR北海道が負担するとした。

なお、仮に沿線自治体が第三セクター鉄道として運営した場合でも、支援額はバス転換相当額が上限となり、将来バス転換となった場合の費用は自治体負担を要請している。

石狩当別~石狩月形駅間
この区間は並行バス路線が存在しないため、バス路線を石狩当別駅 - 北海道医療大学駅 - 月形町間に新設し、本数は現行の列車より増便(15本→18本)し、月形高校への通学輸送に配慮するとしている。また、残存する石狩当別~北海道医療大学間は列車を増便の上、北海道医療大学駅にバスターミナルを新設し、札幌方面からの列車と月形方面からの代替バスの乗り継ぎ拠点として整備するとしている。

石狩月形~浦臼駅間
この区間の並行バス路線は、2003年にジェイ・アール北海道バス(石狩線)が撤退したため、その代替である浦臼町営バス晩生内線が石狩新宮~晩生内市街~浦臼駅間に平日のみ1往復運行されるほかは存在しない。
このため、月形高校への通学輸送を含む交通手段(バスもしくは乗合タクシー)を月形町~浦臼町間に新設し、また、浦臼町内から札幌方面への移動手段として、浦臼駅 ~鶴沼市街~奈井江駅間の浦臼町営バス新うらうす線を土休日運休から毎日運行へ変更するとした。

その後、浦臼町では廃止受け入れ時に、浦臼町~月形町間の町営バス新設と、町内から美唄市までのデマンドタクシー運行を検討しているとした。

浦臼~新十津川駅間
この区間は浦臼駅~新十津川町役場~滝川駅間を運行する、既存の並行バス路線(北海道中央バス滝川浦臼線・滝新線)の活用を要請しつつ、意見を伺い検討するとした。

その後、新十津川町では廃止受け入れ時に、代替交通は上記のバス路線を維持するのみで新規路線の設定はしないことを表明している


私も新十津川町の方とお話をしたことがあるのですが、地元の方はやはり1本しかない鉄道を利用することはないようです。
札幌に出るのは車利用が多いようですし、急用でもバスで滝川に出て特急に乗ってしまうとのことです。

新十津川町としては、利用促進しており駅前のカフェなどは鉄道ファンに大いに盛り上がっているのですが・・・
実態としてはこれが現状なんですよね~

コレ同じことを前にも書いたんですよね~
それが、旧江差線木古内~江差間・・・
またしても、同じことが原因で鉄道の廃線・・・なんていうか悲しくなりますね。。。

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