Project JRS公式ブログ

只見線を応援する同人サークル「Project JRS」公式ブログ! Project JRSでは茨城県及び北海道も応援しています!

2018年09月


本日、JR東日本では前代未聞の20時で全線運転見合わせを発表するという状態となっている今日このごろですが、久しぶりに書いていきたいなと思います。台風関連の情報については後ほど公開できれば致します。


忘れ去られた書庫を今再び、解き放つ!

皆さんは覚えているだろうか?
21年前の今日が何の日かを・・・

イメージ 1
↑日本海ファクトリー様へリンク↑

そう21年前の今日、かつて上野と長野・妙高高原・直江津間を結んでいた特急「あさま」が廃止されたのと同時に信越線横川~軽井沢間が廃止された日が9月30日なのです。

イメージ 5

では、その特急「あさま」の歴史と66.7‰という急こう配がある碓氷越えがどれだけ大変だったのかをご説明していきたいと思います。

①「あさま」の名称登場!

「あさま」という名が付いたのは1961年3月のことです。当時は小諸~新潟間(小諸~長野間普通列車)の準急列車として名付けられました。(特急あさまとは別物)

その年の10月には往年の名列車と呼ばれた「白鳥」がキハ82系で上野・大阪~青森間の運転が開始された。ちなみにこの「白鳥」が信越本線では初の特急とされている。

翌年12月、上野~長野間の夜行準急「妙高」を「あさま」に変更する。

翌年1963年10月、最初に登場した準急「あさま」が急行に格上げされて「丸池」に変更。区間も直江津~新潟間に短縮。(長野~直江津間普通列車)
同じダイヤ改正にて碓氷峠区間の横川~軽井沢間がアプト式から粘着運転方式の複線運転が開始します。(同年7月に単線として粘着運転は開始しています)

②難所:碓氷峠を越えろ!

ここで、江戸時代から最大の難所と言われてきた碓氷峠もとい碓氷越えの歴史を簡単にご説明します!

イメージ 2

鉄道においても碓氷峠を越えることは早くから重要視され、上野~横川間が1885年に、さらに軽井沢~直江津間が1888年に開通すると横軽区間が輸送のボトルネックとなり、東京と新潟の間の鉄道を全線開通させることが強く望まれていました。
当時の機関車の能力では粘着式鉄道にて通過困難な勾配があり、スイッチバックやループ線などを設ける方法では対処できなかったためラック式鉄道を模索し、その方法が採用された。1891年3月に工事を着工、着工からわずか1年9か月後の1892年12月22日に工事が完了し、翌1893年4月1日に官営鉄道中山道線(後の信越本線)として横川~軽井沢間が開通した。

11.2 kmの間に18の橋梁と26のトンネルがあるため開業当時は、煤煙の問題から、乗務員の中には吐血や窒息する者が現れ、1911年に横川駅付近に火力発電所が設けられて1912年には日本で最初の幹線電化が行われました。

電化により碓氷線の所要時間は80分から40分に半減して輸送力は若干増強されたが、輸送の隘路であることは変わらず、「東の碓氷」は「北の板谷」、「西の瀬野八」などと並び、名だたる鉄道の難所として称された。

太平洋戦争後は輸送隘路の解消のため最急勾配を22.5 ‰(約1.3度)とする迂回ルートも検討されたが、最大66.7 ‰(約3.8度)の急勾配は回避せず一般的な車輪による粘着運転で登降坂することになり、1961年に着工し1963年7月15日に旧線のやや北側をほぼ並行するルートで新線が単線で開通した。同年9月30日にラック式鉄道は廃止され、さらに1966年7月2日には、旧ラック式線の一部を改修工事する形でもう1線が開通し複線となった。これによって横軽区間の所要時間は旅客列車で40分から下り列車は17分、上り列車は24分に短縮されました。

イメージ 4

しかし電車・気動車・客車・貨物を問わず単独での運転は勾配に対応できず、補助機関車として2両を1組としたEF63形を常に連結することとなった。勾配を登る下り列車(横川→軽井沢)を押し上げ、勾配を下る上り列車(軽井沢→横川)は発電ブレーキによる抑速ブレーキとなるという機能であった。そのために必ず勾配の麓側にあたる横川側に2両が連結された。

碓氷峠の抜本的な輸送改善は、1997年の北陸新幹線高崎~長野間の開通によってなされた。その際、信越本線の碓氷峠区間は、長距離旅客が新幹線に移行する反面で県境を越える即ち住環境を跨ぐローカル旅客数が見込めないことや、峠の上り下りに特別な装備が必要で維持に多額の費用がかかるとして、第三セクター鉄道などに転換されることなく廃止され104年の歴史に幕を閉じた。
北陸新幹線は碓氷峠を迂回するように建設されているが、こちらも30‰(約1.7度)の勾配が連続しているため、勾配対策が施された車両じゃないと入線することが出来ない。

以上が簡単な碓氷峠の歴史である。

③特急「あさま」の登場!

ここまでは、まるっきり別物の「あさま」の話ですが、ここから上野~長野間の特急「あさま」が登場します!

1966年10月1日、上野~長野間に特急「あさま」が2往復で運転を開始します。車両は田町電車区(現:東京総合車両センター田町センター)所属の181系が充当されました。

1968年10月、俗に言うヨンサントオのダイヤ改正で3往復に増発と同時に1往復が東京発着になり、さらに1往復が直江津発着になる。

1969年7月、「あさま」の車両を田町電車区から長野運転区に移管。10月には初代「はくたか」が上越線経由へと変わった。

3年後の1972年3月、「あさま」が5往復に増発。そのうちの2往復が直江津発着となる。同時に「白山」が特急へ格上げ。10月にはエル特急の指定を受ける。(この当時のエル特急の定義は、特に意味はなく、特急 (Limited Express) や直行便 (Liner)など「数(かず)自慢、かっきり発車、自由席」をコンセプトとしていた。)

イメージ 3

1975年10月、1966年から使用してきた181系に変わり、新製の189系に置き換えられる。(189系電車は489系電車同様に横軽区間でEF63形との協調運転により最大12両編成での運転が可能となり輸送力増強が実現した。)

これ以降、列車の統廃合が加速、急行「志賀」や急行「妙高」が廃止され「あさま」へと統合されていく。

1985年3月、急行「信州」「軽井沢」が「あさま」に置き換えられ、15往復へと増発します。翌86年には更に2往復増発し17往復へ!

2年後の1988年3月には11両編成になる。

平成に入り1990年からは、シートピッチが拡大されたグレードアップ車両が導入される。1993年には更に1往復増発し、全19往復の全盛期を迎えるが、同時に終焉も近づきつつあった。

全19往復のうち4往復(下り1・11・17・29号/上り10・18・30・38号)が直江津発着(下り29号は長野から快速列車)、それ以外は長野発着でした。夏・冬季間は妙高高原への延長運転も行われていた。

全列車の停車駅は、上野・大宮・高崎・横川・軽井沢・小諸・上田・長野・黒姫・妙高高原・新井・高田・直江津となっていて、それ以外に一部列車が停車する駅が赤羽・熊谷・深谷・本庄・安中・磯部・中軽井沢・御代田・田中・大屋・坂城・戸倉・屋代・篠ノ井が一部停車する駅でした。

この中でやはり一番気になるのは、やはり現しなの鉄道の停車駅ですよね。
今やローカル線の一駅となってしまったが、かつては中軽井沢や御代田・田中・大屋等の駅が特急停車駅だったのです。

長野以北では、黒姫・妙高高原・新井・高田・直江津の比較的大きい駅が停車駅となっていた。

それ以外で注目の駅は、太字にした磯部や中軽井沢ですかね。
磯部は磯部温泉の玄関口ですし、中軽井沢は旧軽井沢などの玄関口となっているので今、特急が走っていないというのが少し寂しい印象を受けます。

④「あさま」とともに60年

イメージ 8

忘れてはいけないのが横川駅とともに60周年を迎える有名駅弁!「峠の釜めし」

「峠の釜めし」の製造会社:荻野屋は1885年、横川駅の開業時に創業しました。
当時は、おにぎり2個に沢庵漬けを添えたものだった。

「峠の釜めし」が誕生した経緯として、その当時の駅弁は「駅弁=折り詰め」というのが常識となっていたため、乗客としては飽き飽きしていたそうです。
そこで、当時の社長が乗客の意見を聞いて回った結果、『暖かく家庭的で、楽しい弁当』という意見が大半で、その意見をどのようにしてそれを駅弁に反映するかを考え、弁当と一緒に販売する緑茶の土瓶に着目。当時の駅で販売されていた緑茶の土瓶は陶器製であったが、陶器は保温性にも優れていた上、匂いも移らないため、「暖かい」「楽しい」という要望をクリアできる。
さらに、「中仙道を越える防人が土器で飯を炊いた」という内容の和歌にヒントを得て、早速益子焼の職人に相談し、一人用の釜を作成することにした。

こうして1958年2月1日に誕生したのが「峠の釜めし」です。

イメージ 9

特急「あさま」が廃止となった以降も、車内販売で「あさま」(現在は販売終了)や「はくたか」で販売されている。
それ以外にも、直営店やドライブイン・碓氷峠鉄道文化むら・横川SAの営業等多岐に営業して販売を続けている。

この元祖駅弁を食べるのも横川・軽井沢の醍醐味の一つじゃないかな~と思っております。

⑤特急「あさま」の終焉とその後の189系

19往復という全盛期の終焉は、突如として訪れる。19往復になってたった4年後の1997年9月30日、北陸新幹線高崎~長野間(長野新幹線)先行開業に伴う横川~軽井沢間廃止により、在来線特急「あさま」及び「白山」の運転が終了した。

しかし、「あさま」という名は新幹線の名称へと変わり現在もなお、東京~長野間の新幹線として運転を続けている。

イメージ 6

一方で189系電車は、「あさま」としての任務を終え、廃車が加速していきましたが一部車両は長野に残り臨時「あずさ」や「みのり」快速「妙高」や臨時列車に使用され近年まで運転をし続けていたが、現在は長野に残るN102編成のみとなっている。

この車両は、横軽区間を知る唯一の生き証人で長野から転属したことがないという生粋の長野車である!

初代新幹線「あさま」のE2系よりも長く生き続けている189系N102編成ですが、老朽化は著しく今年度中には引退になるようです。

最後に、碓氷峠の部分で説明しましたが、軽井沢~直江津間は1888年に開業したということで今年で130周年の節目の年を迎えます。
現在、信越本線は「高崎~横川」「篠ノ井~長野」「直江津~新潟」と分断されてしまいましたが、今なお「軽井沢~篠ノ井」「長野~妙高高原」のしなの鉄道、「妙高高原~直江津」までのえちごトキめき鉄道(ETR)と会社は変わってしまいましたが現存しています。関係のある3社(JR東日本長野支社・しなの鉄道・ETR)が共同で信越本線130周年記念のイベントを10月より開始します!

イメージ 7

横軽区間を知る生き証人189系N102編成を用いたイベント列車も運行する予定だそうです。またしなの鉄道からは115系初代長野色+湘南色で運転が予定され、豊野では189系と115系の共演が見れるそうです!

横軽廃止から21年、信越本線軽井沢~直江津間開業から130周年・・・
この機会に旧信越本線を巡る旅をしてみてはいかがでしょうか?

イメージ 10
↑鉄道コムランキング参加中 特急「あさま」についてもこちらで↑


久しぶりに更新しています。

今ちまたで賑わっている情報があります。

イメージ 1

それが「185系のJR東海乗り入れ終了」との情報です。

今日はその情報がどれほど信憑性が高いかを解説していきたいと思います。

まず、なぜ185系が乗り入れ終了するのかというと・・・

①185系の置き換え

イメージ 3

老朽化した国鉄汎用型特急である185系を中央線特急で使っているE257系に置き換えることを想定しているからです。

イメージ 2

中央線特急はE353系にすべて置き換えることになっており、余剰となるE257系は東海道線の特急に回ることになっている。

それに伴い、185系が置き換えられるのである。

イメージ 4

イメージ 5

185系が置き換えられるのに伴い、踊り子号の修善寺行きと臨時快速「ムーンライトながら」が廃止されることが想定されている。

②E257系の編成の問題

185系は10両・7両・5両と多岐にわたる編成を組むことが出来るが、E257系は9両+2両の編成となっているため2両編成のみで運用することは出来ません。最低でも9両編成での運転が原則となり、修善寺への乗り入れは必然的に困難である。

勿論、改造するという手法も考えられるが現実的ではないと思われる。

③JR東海側からの要望があるらしい

イメージ 6

今まで、183系から185系に置き換わる際には必ずと言っていいほど乗務員の訓練を行ってきましたが、今回置き換わるという発表がなされているにも関わらず、乗務員の習熟訓練が行われていない。

つまり、JR東海はE257系を東海管内に入れることを想定していないのです。
また、JR東海管内に乗り入れるには保安装置を追加しなければならない。

JR東海に乗り入れる同じE231系は、ATS-SNにJR東海のATS-STの速度照査機能を追加しているがE257系にはJR東日本の保安装置しか搭載していないのでおそらく乗り入れることを想定していないのでしょう。

また、185系は国鉄形ということもあり運転操作が他の国鉄形と同様2ハンドルであったということもあります。
現在、JR東海では国鉄形がすべて廃止されており国鉄形を運転できる人が限られているというのも要因の一つなんだと思われます。

最長で熱海~大垣までの運転があるムーンライトながらの運転もあることから、一からE257系の運転を訓練するのも不可能でしょうし、185系が一線を引くのをきっかけに廃止という道をたどると思われます。

それ以外にも、「ムーンライトながら」の運転で被害を被るのはJR東海の乗務員なんですよね。真夜中の東海道線を南下していくわけですので・・・

今後、言えることは国鉄形が引退すると乗り入れも必然的に減っていくということだと思います。

イメージ 7

中央線で木曽あずさの運転を2年連続でやりましたが、189系が国鉄形だから出来ることですし、211系長野車が中津川や飯田線に乗り入れできるのはJR東海でも211系を使用しているから出来ていることです。

イメージ 8

もし、211系が引退すればその乗り入れも無くなるのかもしれない・・・

まだ、E257系の修禅寺乗り入れやムーンライトながらの廃止が正式に決まったわけではないが、廃止される可能性が大なため乗り納は早めにしておいた方が良いかと思われる。

イメージ 9
↑鉄道コムランキング参加中 E257系東海道線についてもこちらで↑

このページのトップヘ