Project JRS公式ブログ

只見線を応援する同人サークル「Project JRS」公式ブログ! Project JRSでは茨城県及び北海道も応援しています!

2017年03月

生憎の雨模様となった年度末・・・
今日を持って色々なものが無くなります。臨時として走り続けたE2系あさまや吾妻線・万座・鹿沢口駅が無人化されたりといろいろと変わります。
そんな中、東武でも明日で変わるものがあります。

本日を持って、東武伊勢崎線(スカイツリーライン)の松原団地駅の名称が変更となります。

明日からは獨協大学前<草加松原>という駅名へと変更になるのを前に、松原団地としての営業最終日となる駅の方へ行ってきました!

その前になぜ、駅名が変わるのかを再度確認しておきましょう。

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松原団地駅は、1962年に建設され、当時“東洋最大規模のマンモス団地”と言われた松原団地の最寄駅として、同年12月1日に開業しました。その後、1964年に獨協大学が開学し、各種文化施設が整備され、文化都市として発展し、現在も多くのお客さまにご利用いただいております。

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このようななか、埼玉県草加市では、現在、独立行政法人 都市再生機構(UR)による「松原団地」の建て替えおよび市街地の整備が進展していること、2014年3月に旧日光街道の「草加松原」が国指定の名勝地“おくのほそ道の風景地”となったこと等から、草加商工会議所を中心に、「松原団地駅名変更協議会」が設立され、今般、草加市及び同協議会の連名で当社に対し、「松原団地」の駅名を「獨協大学前<草加松原>」に変更して欲しい旨の要望が提出されました。

東武鉄道としても、開学以降、地域と歴史を重ねてきた「獨協大学」を駅名とすることで、「大学のあるまち」を想起させ、地域のイメージアップを図れるとともに、副駅名として国指定の名勝地「草加松原」を採用することで、観光地としてのPRにもつながることから、駅名を改称することになったのです。
東武鉄道の駅名改称は2012年(平成24年)に業平橋駅がとうきょうスカイツリー駅へと改称以来5年ぶりであり、また駅名に大学名がはいるのは日光線の板倉東洋大前駅に次いで2駅目である。
さらに、副駅名が付く駅名としては東武鉄道内では初となります。

正直なところ、長年親しまれた名称を変更するというのはあまりいい印象を与えないと思うんですよね。←私的には・・・
確かに、駅名を改称する意図はわかりますが、獨協大学を前面に出すのはいささかどうなのかと・・・「草加松原」を前面にだすならまだしも獨協大学を前面に出したことで獨協大学のイメージが逆に強くなると思うんですよ。
だから、改称すべきではないと常々思っていたのですがね~
正直、東武鉄道及び草加市の判断は間違っていたんじゃないかと・・・

ということで、松原団地駅としての営業最終日となった松原団地駅へと行ってきました。まずは急行との乗換駅である草加駅へ・・・

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草加駅ではもうすでに隣駅が「獨協大学前」へと変更されていました。
そして・・・

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この電光掲示板も見納めとなります。
列車の発車時にしか見られない次の停車駅案内・・・
明日からは「獨協大学前」と表示される

一旦、松原団地駅を通過して新田駅へ・・・

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新田駅でも改称前日ということもありすでに変更済みでした。
そして、こちらも最後となる電光掲示板の表示・・・

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こちらは、草加と違ってスクロールしないんですね~

というか、草加・新田ともに新しい駅名標を付けるんですからホント東武鉄道って金持ってるな~って思いますね。
通常こういう駅名変更の場合シールで貼り替えるというのが多いのですがね~

ということで・・・
東京メトロ03系で松原団地駅へと戻ります。

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この表示ももう見られなくなります。
そして・・・松原団地駅へ到着!

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すでに駅では松原団地を惜しむ鉄道ファンや地域の方・一般の方が多く撮影していました。

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一足早く柱にある駅名標は変更されてしまいました。

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つい先日まではまだこの表示だっただけに悲しいですね。

そして、駅にある電光掲示板もこのように・・・

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駅にある全ての電光掲示板に「ありがとう、松原団地駅」との表示!

やはりこの駅で働いている駅社員も駅名変更は悲しいですね。。。

駅のお知らせも・・・

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このようになっていました。

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外ではつい3日ほど前に「松原団地駅」の文字は外され、真新しい「獨協大学前<草加松原>」がスタンバイ中!
明日、垂れ幕が剥がされ正式に駅名が変更される・・・

松原団地駅で特別補充券と乗車券、入場券を購入し・・・
雨の降りしきる中、駅前の珍来で昼食してカインズホームに行ってきました。

そして、再度ホームへ・・・
去り際に東武らしい写真を残そうと思い・・・

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松原団地駅の駅名標と東武20000系ツーショットを撮影して帰りました。

生憎、東京メトロの新車13000系をお目にすることは出来ませんでしたが、思い入れのある松原団地駅最後の日にこの駅に行って良かったと思っています。

あとちょっとで松原団地としての営業を終える松原団地駅・・・

名前が変わっても松原団地駅だった証は皆さんの記憶の中に残り続けます・・・・

さよなら松原団地駅・・・

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今日で北海道新幹線開業から1周年経過しました。
ということは、青函特急が無くなって1年が経過してしまったということです。
北海道新幹線はこれからも色々と問題になりそうな予感がしますので、今後も要注目です!

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さて、同じ新幹線ですがこちらは去る新幹線です。

昨日、団体列車として「ありがとうE2系あさま号」が運転されました。
E2系あさまは来週3月31日の最終運転をもって後継車のE7系に全列車統一されます。

E2系「あさま」最後の運転ダイヤは?
●2017年3月31日(金)
「あさま656号」長野16:45→東京18:32
「あさま658号」長野17:42→東京19:32
「あさま655号」東京21:48→長野23:33

※いずれの列車も普通車指定席、自由席、グリーン車指定席があります!

さて、E2系が登場したのは長野新幹線(現:北陸新幹線)が開業したのがきっかけです。
長野新幹線もとい北陸新幹線にはクリアしなければならい問題が存在したからです。

①碓氷峠の急勾配

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在来線時代も横川~軽井沢間は鉄道最大の難所だった区間を長野新幹線も超えなければ長野には行けなかった。
在来線は、全列車が横川・軽井沢に停車しEF63という補機を横川側に連結し押し上げたり、急勾配での加速を抑える働きをしていた。
建設過程で、長野新幹線はあえて横川を経由せず安中の山中を迂回するように軽井沢へと建設していきましたが、高崎~軽井沢間で、30‰(1000mで30mの高低差)という急な坂道がおよそ30kmも連続。特に、この長く急な坂を“安全に下る”能力が必要だった。

そこでE2系は「抑速回生ブレーキ」という、摩擦力で車輪の回転を抑えるのではなく、車輪につながるモーターを発電機として使い、そのときの回転抵抗をブレーキ力にすることで、長い坂でも安全に速度を抑えて下れる機能を搭載。“難所”における安全性を確保しました。ちなみに抑速回生ブレーキを使用中、モーターで生み出された電気は架線に戻され、別の列車が活用。省エネにもつながっています。

②電気の周波数問題

日本には異なる周波数が存在します。東日本の50Hzと西日本の60Hzです。電子レンジも東と西でワット数が違いますようね?それと同じです。
理由を語ると非常に長くなるので割愛して、長野新幹線はその周波数の“境界”をまたぐため、地域で異なる電気に対応する新幹線の製造が必要でした。
東海道新幹線も同じように周波数が違う区間を走行しますが、こちらは沿線に周波数変換変電所を設け、東京駅まで60Hzの電気を供給する方式です。
東海道新幹線開業当時、車両側で両方の周波数に対応させる仕組みは、機器の重量が大きくなることなどから採用されなかった。

以上、2点の問題を解決し満を持して登場したのがE2系です。1997年10月1日長野新幹線の開業に伴い長野新幹線専用として東京~長野を結んできました。
長野五輪開催時には当時東北・上越新幹線でも活躍していた200系が2003年までは臨時としてE4系にも両周波数対応用の機器と急勾配対策を施したE4系が長野新幹線を走りました。

E2系には姉妹車の1000番台もおります。1000番台は10両編成で東北新幹線(盛岡以南)と上越新幹線で活躍しています。
E2系1000番台も当初は東北新幹線新青森まで運転しておりましたが、E5系の増備により現在は盛岡以南の東北新幹線と上越新幹線のみとなっています。

基本番台(N編成)との相違としては、外観上は基本番台車両にくらべ、普通車の窓の寸法が座席2列分と広くなると同時に、プラグドアが従来の引き戸方式に変更されたほか、パンタグラフがシングルアーム式となり、カバーが廃止された程度です。
その他、50Hz専用になり乗り心地改善のため先頭車両およびグリーン車に空気アクチュエータ式フルアクティブサスペンションを搭載、車内照明の形状も変化し、側壁の一部には木目調が用いられました。

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車体塗装も一部見直され帯の色をピンク(つつじ色)に変更し、リンゴのエンブレムが施され、N編成との差別化が図られています。
これが採用された背景には、E2系が東北新幹線でも運用につくようになったことと八戸・新青森と延伸して青森県へと足を伸ばしてきたことから「りんご畑を駆け抜ける新幹線」という青森県を象徴する意味合いの強いエンブレムが採用されました。

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一方で、E2系基本編成の方には従来のエンブレムの他に新たに「E2系あさま」を最大限に活かしたエンブレムが追加されました。

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それがコチラです。
従来のそよ風をイメージしたエンブレムは少し簡略化されましたが、「E2系あさま」の文字が追加されより長野新幹線に特化されたエンブレムになったと思います。


E2系の引退は正直驚きましたね。
だって、まだ利用価値があるんじゃないかと思うんですよ。
金沢~富山までを結ぶシャトル新幹線「つるぎ」はE7・W7系12両のうち5両は使用されていなく閉鎖しているじゃないですか?閉鎖するぐらいなら8両編成を使ったほうが良いと私は思うんですが・・・

それに何よりもコレが一番ショックだと思いますね←私は

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いまだに長野では活躍中の「旧あさま」である189系・・・
かつては、上野~長野・直江津間を横軽間経由で3時間で結び、1997年9月30日横軽間廃線とともに長野新幹線E2系にバトンを託した189系よりも先にE2系が引退ということになってしまうことになるとは誰もが予想もしていなかったことなんじゃないかと思います。

189系・E2系ともに東京対長野を結んできた重要な役割を果たしてきました。
その功績はE7系・W7系へと受け継がれて行きます!

PS)
運行最終日である3月31日は、この話題に触れない予定なので予めご了承ください。

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今年の4月で国鉄が民営化して30年という節目を迎えます。
それを目前に控え、30年が経過して国鉄の体型から大きく変わってきました。

それぞれ別会社として再スタートした現在のJR各社の状態を定期?読み物として書いていきたいと思います。

まずは、こちらの記事を最初にご覧ください!

国鉄車両3割が現役=JR4社、在来線で―東、東海は1割以下・民営化30年

時事通信 3/18(土) 15:06配信

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 JR旅客4社(北海道・西日本・四国・九州)が保有する在来線車両のうち、約3割が1987年以前の国鉄時代に製造された車両であることが18日、分かった。

 適切に整備されていれば安全性に問題はないが、経営状態が良好なJR東日本と東海は更新が進んでおり、1割以下にとどまる。国鉄が分割民営化され、JR各社が発足して4月で30年を迎える。

 JR各社によると、国鉄車両の割合は北海道が32%と最も高く、西日本と四国が30%、九州が28%と続いた。残る2社は置き換えが進んでおり、東日本10%、東海0.2%だった。新幹線は四国を除く5社が運行するが、いずれもJR発足後の車両を使用していた。

 国土交通省によると、鉄道車両の耐用年数について規定はなく、適切に整備して安全基準を満たしていれば運行できる。検査頻度などは省令で定めており、事業者は国の規定に基づき整備マニュアルを届け出ている。

 2011年以降に脱線事故などが相次いだJR北は、14年度から約840億円かけて老朽化した車両の交換を始めたが、新型車両の調達が追い付かず運行本数を減らすなど支障が出ている。


国鉄民営化から30年を経て国鉄型車両はどんどんと数を減らしてきていますが、いまだに使用し続けている会社もあるという現状です。
その状態が一番ひどいのがJR北海道であり、今後どうなるかわからないJRの中で一番危機感が強い会社です。

次回以降、JR各社がどのように30年を歩んできたのかを書いていきたいと思います。

JR北海道が多分いちばん記事の量としては多いと思います。
民営化後色々な出来事があったのは北海道だけですから・・・

次回、JR北海道から南に向かって紹介していきたいと思います!

尚!定期って書いてありますけど週一更新を予定しています。
(毎週何曜日とは決めていないので・・・というか記事が書き上がり次第という感じですので気長に待って頂ければと思います。)

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ダイヤ改正から早2週間・・・

今のところ問題等は起きていないようだが、やはり気になるのは
今回のダイヤ改正で特急が削減された石北・宗谷線が気になるところです。

前回、石北・宗谷線と同様に切り捨てられた内房線を紹介していきましたが、今回は石北・宗谷線にスポットを当てていきます!

ということで、宗谷線の途中駅である士別市民からの生の声を元に今回のダイヤ改正について振り返っていきたいと思います!

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まず、今回のダイヤ改正でどうなったのか簡単におさらいだけしておきましょう。

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改正前まで3往復あった札幌~稚内間は、ダイヤ改正後札幌~稚内間1往復となり、新たに旭川~稚内間に2往復設定されるというダイヤに変更されました。

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同じく、石北線も4往復あった札幌~網走間は2往復に削減され、新たに旭川~網走間に2往復設定されました。

双方とも旭川駅では対面の乗り換えとなるようですが、6両の「ライラック」と4両の「大雪」「サロベツ」だと移動距離が長い場合があるようです。

この一連の原因としては、今まで使っていたキハ183系が老朽化しているというのが大きな要因です。

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キハ183系の老朽化が原因で長い距離を走らせるのが段々と困難になりつつある現状から宗谷線側は「スーパー宗谷」で使っている高性能形気動車キハ261系にすべて置き換える替わりに2往復は旭川止まりとする。

一方で高性能形気動車がない石北線に今まで「サロベツ」で使用していた車両を回す、これにより石北線での車両不足の事態を避ける狙いがあるのだと思われます。
これと同じくして、今まで「北斗」として札幌~函館間に入っていたキハ183を新製したキハ261系を入れることによって置き換えし、函館のキハ183を苗穂に転属させ、こちらも石北線用に回されました。

というのが、原因でこのような状態となっているのですが・・・
この現状について、地元の方はどう思っているのか?

北海道新聞では地元紙として「不便になった」ということが大きく話題となっておりましたが、大手新聞社では「車両がキレイになった」等がピックアップされ新聞社によっての格差が露呈した形となった。

さて、本題です。
前述した宗谷線の士別駅で聞いた話を書いていきたいと思います。

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士別市は旭川~名寄の間に位置した場所にあります。この区間は北海道高速鉄道開発という第三セクターの会社が線路を保有し、JR北海道側に貸し付けています。
同じく、キハ261系も保有し貸し付けています。

士別から札幌に向かうには、やはり「宗谷」を使うことが便利なのですが、このダイヤ改正により、市民から聞こえてきたのは『札幌に行くのに不便になるのね』との言葉でした。

一方で『旭川に行くのには安くなるのね』という言葉も聞かれました。

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そう士別には旭川~名寄間を結ぶ快速「なよろ」が運転されており、わざわざ特急料金を支払う必要もなくなるのです。
それに、本数も4往復とそこそこの本数が運転されているので特急に乗る必要がなくなったというのが士別市で聞かれたことです。

対して、名寄以北はと言うとやはり特急がないと不便なのは否めないという感じが強い印象です。
過疎化が進んでいると言う現状もあり、大都市にしか無い病院や大きな買い物には、稚内に出るより旭川や札幌に行ったほうが良いという現状があるようです。

今、名寄以北の人が心配しているのは「旭川止まりの特急に乗ったとして、乗り継ぎのライラックにちゃんと乗れるのか?」というのが気になる所だそうです。
まあ、幸いにもライラックには指定席があるので指定席を取っておけば大丈夫かと思われるが、急に行く予定ができた場合それが可能か否かという問題が出てくると思う・・・

内房線は利便性が向上したから切り捨てられたという印象ですが、こちらは車両の老朽化が原因でやむを得ず切り捨てたという感じです。
今後、石北・宗谷線がどうなっていくのか?という所に注目しなければならないと思います。

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あれから6年という月日が経過しました。
今日は、あの時のことを少し思い出してもらおうと2011年に撮影した画像をお届けしようかと思います。

2011年は3月5日よりE5系による「はやぶさ」の運転が開始しました。
運転を開始して早6日で東日本大震災により東北新幹線が不通となってしまいました。

その前年の12月には新青森まで全通したばかりだったのにだ・・・

分断された東北新幹線は徐々に復旧していったが、元のダイヤに戻るまでには相当な時間を要しました。

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まだこの当時は200系が現役だった時代なんですよね~

東北新幹線も震災により駅や高架橋などに影響を及ぼしたが、幸いにも脱線した車両はなかった。
この震災により仙台地区や東北の鉄道はズタボロ状態となってしまった。
常磐線は津波の被害と福島第一原発のせいでいまだに復旧していませんが、震災から6年を経てついに仙台から浪江まで復旧します。

一方で、震災により山田線は津波による被害により三陸鉄道に移管されることが確定、気仙沼線はBRTにより復旧を果たすものの鉄路での復旧は見込めない様子でこのまま鉄路は廃止されそうな状況です。
その他、色々と影響を与えました。

東北新幹線は東京~那須塩原間は3月15日に運転再開(当該区間全列車が「なすの」として運転)、盛岡~新青森間は3月22日に運転を再開した(同「はやて」として運転)。
4月12日に那須塩原~福島間が運転を再開し(「なすの」を郡山まで延伸、一部「やまびこ」も設定)、福島~新庄間で折り返し運転を行っていた山形新幹線「つばさ」も東京までの直通運転を再開しました。

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この画像は福島まで運転を再開したときに撮影された画像です。

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この当時は「やまびこ」と「つばさ」は別々に運転されていたのです。

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E2系では今までに見たことがない表示が見られていました。

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200系は「福島」の表示が出なかった。

福島まで復旧した同日、東北本線福島~仙台間を結ぶ臨時快速列車「新幹線リレー号」の運転を開始(同区間開通前日の4月24日まで運行)。翌4月13日には盛岡~新青森間、4月23日に一ノ関~盛岡間、4月25日に福島~仙台間と順次運転再開していきました。

こうして、いち早く復旧を果たした東北新幹線は東北と首都圏の架け橋となった。

あれから6年・・・
津波の被害を受けた鉄道は気仙沼線を除いてほぼ復旧を果たしました。

今問題となっているのは、福島第一原発への影響を受けている常磐線のみです。

鉄道への影響はほぼなくなったが、いまだに避難者は多々いる現状です。
今後も、支援は必要だと思われます。東日本大震災の記憶は忘れないようにしましょう。

また大震災が起きないように・・・

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