Project JRS公式ブログ

只見線を応援する同人サークル「Project JRS」公式ブログ! Project JRSでは茨城県及び北海道も応援しています!

2016年05月


今週はいろいろと臨時列車が走ったようですね~
関東では仙台の485系を使ったY157が駆け抜けました。
おそらく、この上京が最後の首都圏入りとなるんでしょうね~
仙台の485系ラストランまで残り3週間となりました・・・

一方で、只見線ではこの季節では5年ぶりとなる「SL只見線新緑号」が運転されました!
通常は秋に運転されることが多いのですが今年は、福島DCのアフターキャンペーンとして運転され、機関車は従来通り真岡鐵道C11を借り入れ、客車は高崎車両センター所属の旧型客車3両を連結した計4両で運転されました。

火~木曜日には公式の試運転も行われ、多くの撮り鉄が只見線沿線へと足を運んでいました。

今回、コレが目的というわけじゃなかったんですが偶然にもタイミングが合ってしまった為、宿泊した会津宮下で撮影を敢行しました!

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朝は宿泊場所に近かった只見川第二橋梁で撮影!

その後、三島大橋という橋が通行規制されるとかで仕方なく立ち退き・・・
会津宮下駅近くにある橋の3兄弟がある大谷川橋梁へ向かいます。

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この橋3つの橋が一度に撮れるということで、撮影地の一つとされているのですが、私以外撮影者が居なかったですね~
正直この場所どのような構図にするか悩んだ結果、川を取り入れたこれが妥当なんじゃないかと思い縦で撮影したんですが、あってるんですかね?
それにしても編成がすべて収まらないので撮影はよくないかも・・・

一番上の橋が国道252号の新宮下橋、只見線の大谷川橋梁となっています。

そして、次の列車がSLということで・・・
早戸駅に行くか、それとも周辺で撮影するか撮影地を探しに歩きまわった結果・・・

一番良い撮影地は只見線がアンダーパスする国道252号の宮下跨線橋が良いと思いこの場所に陣取りました・・・

約1時間ほど前から待機していたわけですが、福島や会津ナンバーのほか世田谷や茅ヶ崎、新潟等々首都圏ナンバーも多く見られました。
その中でも一番驚いたのが「岡山」と「神戸」・・・
『おいおい、わざわざ撮影のためにそんな遠くから来たのか・・・』と心で思っていましたね~

SLが近くなると汽笛がよく聞こえるようになり、会津宮下駅停車中には黒煙が立ち上っているのも見えました!
出発間際になると、沿線住民も外に出たり、国道を走ってた車がいきなり進路変更し跨線橋手前で停車させる等のマナー違反も見られました。

そして、会津宮下駅を定刻通り11:23に出発し徐々にこちらに近づいてきます。
こちらの跨線橋もマナー違反の方が増えた影響で発車時には10人近くにまで膨れ上がっていました。

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そして、撮影出来た結果がこちら・・・
うん!今年としてはなかなかの出来でしたねv

ゆっくりと向かってきたSL・・・
機関車は近づくたびに撮影者に汽笛をサービスしたり、乗務員が手を振ってくれたりとなかなかの感動モノでしたね。

今まで、こう走行中のSLを撮影するっていう機会があまりなかったのでこれが人生初の撮影ってことになりますね。
SLが通ったあとのSL独特の匂いがまた良かったです!

折返しも本当は撮りたかったんですが、もともとそういうことを想定している計画じゃないので13:02発の会津若松行きで会津宮下を後にしました。

これが、昨日の撮影記です。
また、走っているC11の勇姿を撮影したいですが、今度は側面の行先サボや所属標がどうなっていたのかが気になるのでそちらを撮影したいと思います!

今回撮影できなかった「只見川第一橋梁」には行きたいので人が少ない時に行こうと思います。

そうそう、これはJRの方にこそ見てもらいたいのですが・・・
SL撮影の前日只見町の方とお話をしたのですが、もともと2011年の被災前までは只見まで運転されていたC11ですが、今は会津川口止まりとなっています。
只見町としてはSL客がこちらに来ないことを物凄く残念そうに語っておられました。

只見線全線復旧の話としては進展しているようですが、廃線を一点張りにするJRの考えは納得出来ないとのことでした。
こういう列車が走れば地域も活性化するし、沿線にお金を落としていってくれるんです。

臨時列車を走らせるだけでいいんです。走らせればその分ちゃんと還元されます。
だからこそ、運休中の会津川口~只見間の復旧がなされることを期待しております!

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本日、朝早くから出発し今年度初の只見町及び只見線の旅を敢行し現在は、会津宮下の旅館に宿泊しております。
これを書いている最中、会津川口行き最終の只見線が会津宮下の近くを通って行きました。なんか暗闇に映る只見線が物凄く幻想的な風景を醸しだしておりました・・・

ということで、今日は上越新幹線で浦佐に出て初のE129系に乗車!そして、小出から只見線に乗るも乗客おらず・・・

只見町役場の方と会談後、只見のご当地グルメのケバブを食べて会津宮下の方へと向かいました。
くしくも、明日はSL只見線新緑号が走るということで、まさかの私のスケジュールとカブるという稀な現象が発生しましたので同時にSL撮影もします。

そんな中、かれこれ3回ぐらい只見線に乗ってきましたがまだまだ知らないことだらけでしたね。
再度乗って新たに分かることも多々あるんですね~

そして、只見線沿線に宿泊して分かることもあるんです。

会津宮下といえば言わずと知れた「只見川第一橋梁」の撮影地がある所です。

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今日は時間的に余裕がなかったので只見川第二橋梁で簡易的な撮影をしてみました。

当初は第一橋梁で撮影しようかとも思ったんですが、SL撮影の方が前夜から待機している可能性もあるとのことを聞いたので今回は断念することにしましたが、会津宮下駅周辺で撮影はしたいと思っております。

今回のメインは第二橋梁になりそうなそんな気がします。

帰りがてらふと景色を見てみるとこんな景色が広がっていました。

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奥会津の夕焼けと只見川の水面に映る山々と宮下大橋・・・
この風景がものすごく綺麗だったので現在追加記事製作中の「只見線沿線ガイド」の新表紙として採用することにしました。

まだまだ、私達の知らない風景が只見線沿線には多くあるってことですよね~
だからこそ、まだ来ていない方にも是非只見線に足を運んで欲しいです。

それが、只見線復旧には必要なことなのです。

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皆様、長らく更新せず申し訳ございません。
最近疲れてて書く気力すら起きないし、ネタもあまりないので更新を疎かにしておりました。
たぶん、今後もこの状況は変わらないと思いますのでしばらく更新がない場合もあるかと思いますが、予めご了承いただきたいと思います!

さて、昨日やはり「オホーツク」及び「サロベツ」が区間縮小が本格的になったと記事が出ました!
まずは、こちらの記事をご覧ください。


「乗り換え負担に」乗客難色 特急オホーツク一部区間短縮方針

05/25 北海道新聞

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 JR北海道が来春のダイヤ改正に合わせ、石北線の網走―札幌間の特急「オホーツク」の一部を網走―旭川に短縮する方針を固めたことを受け、利用客からは「乗り換えは面倒」などと難色を示す声が上がった。沿線自治体はJRの説明を待って対応を検討する構えだが、札幌への直行列車が減り、利便性低下につながる事態に困惑している。

 運行見直しは使用車両の老朽化に加え、経営難で代替車両が確保できないため。JRの方針は、網走―札幌間のオホーツク4往復のうち、半分の2往復を網走―旭川間に短縮する内容。旭川どまりの便を使って札幌に向かう場合、旭川駅で別の特急などへの乗り換えが必要となる。さらに、オホーツクからの乗り継ぎ客以外に、旭川駅から札幌方面の列車に乗る利用客もいるため、座席の確保が難しくなる可能性もある。

 JRは乗り継ぎなどに伴い、所要時間が延びないようダイヤ調整を図る方針だが、乗り換えが生じること自体に乗客から戸惑いの声も漏れる。年に数回、JRで札幌に行くという遠軽町の男性会社員(40)は「旭川で乗り換えるのは面倒。待ち時間が少なくなるダイヤにしてほしい」と要望。網走駅から、出張で札幌に向かった網走市の会社員森下智之さん(43)も「遠軽駅のスイッチバックがあるのに、旭川での乗り換えもあったらゆっくりできない。出張帰りは直通列車でなければ厳しい」と表情を曇らせた。

 北見駅でも、岩見沢の実家に向かうという北見市の公務員山口真一さん(34)が運行区間見直し方針に「反対です」ときっぱり。「(旭川での)乗り継ぎは手間。車内販売もなくなり、ここまで来ると、網走や北見が軽んじられている印象を受けてしまう」と困惑。出張で北見に来た旭川市の教員遠藤恵子さん(62)も「北見の人は大変。乗り継ぎしないで、まっすぐ札幌まで行けたらいいのに」と心配していた。

 一方、沿線自治体に対しては今月末以降、JRが検討内容を説明する見通し。網走市には31日、JR幹部が市役所を訪れて水谷洋一市長と面会予定。事前に内容は知らされていないというが、市側は特急オホーツクについて説明を求める方針だ。後藤利博経済部長は「説明を聞かなければ市としても動きにくい。ただ、釧網線減便や流氷ノロッコ号の運休など、今までJRが(市役所を)訪れたケースを考えると、大変不安な思いはある」と懸念する。

 北見市は、6月初めにJR幹部が訪れる方向で調整中。市企画財政部は「具体的な対応は面会後」とするが「北見市だけで対応できる範囲を超えている。道内の交通体系全体の視点から、道が国に対して働きかけてほしい」。また、オホーツク圏活性化期成会を通じ、オホーツクの運行形態維持を求めている遠軽町も「6月にJR側が説明のため来町する予定。内容によって対応を検討したい」(総務部)としている。



記事によると2往復が旭川止まりとなると記載されています。
この記事では、不便になるとの乗客の意見が書かれているんですが、JR北海道が言うキハ185系が老朽化しているのは言うまでもない事実です。

私の考えだと、車両のやりくりするなら北斗とかおおぞらの編成を減らして、オホーツクの方に回せば良いような気もするんですが・・・
たった4両だけなんだからやろうと思えば出来るんじゃないかと思うんですよね~

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まあ、確かにJR北海道が言うように札幌~旭川間を「スーパーカムイ」に置き換えれば札幌~旭川間の速達をすることも可能になるかも知れませんが、石北線沿線の網走や北見の人たちにとってはスーパーカムイ化されることに寄って座席争いに巻き込まれ最悪座れない可能性だってあるわけです。

今ですら旭川にオホーツクが到着すると「指定席」に勘違いして自由席の人が座っていたりといろいろと問題を起こしています。
この件はオホーツクを区間縮小することで解決できますが、どうなんでしょうかね?

JR北海道は札幌対網走を軽視しているようにしか私には思えないと思います。
記事にも有りますよね?「(旭川での)乗り継ぎは手間。車内販売もなくなり、ここまで来ると、網走や北見が軽んじられている印象を受けてしまう」って・・・
全くその通りだと私は思いますね!

利用客は多いですが函館運輸所や釧路運輸車両所に所属する「キハ281・283」の編成を見なおせば十分にオホーツクを1往復ぐらいは賄えると思うんですがね~
いったいどうなんでしょうか?続報を期待したいと思います。

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今年、JR西日本が京都鉄道博物館、津山まなびの鉄道館を開業させましたが、10年前の今日を皆さんは覚えているだろうか?

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10年前の今日、2006年5月14日(日)秋葉原にかつてあった交通博物館が閉館しました。

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あれから、10年が経ちかつて交通博物館があった場合には2013年、「マーチエキュート神田万世橋」というJRの高層ビルが建ちかつての面影を見ることは出来ません。

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それでは、今日は交通博物館について少し書いていきたいと思います。

懐かしい物をちょっとご用意したのでご覧ください。

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交通博物館のパンフレットです。
2006年当時、私は何回も交通博物館に通いましたね~


交通博物館は、陸・海・空さまざまな乗り物の実物や模型を集めた交通の総合博物館です。鉄道や自動車、船、航空機など、交通全般に渡ってそのメカニズムや歴史・未来について学べるようになっています。

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1階には鉄道全般のこと、2階には、船・バス・自動車のこと、3階には、航空・人力交通・未来の交通のこと、屋上からは、近くを通る新幹線や山手線・京浜東北線が見え、真下には、中央線万世橋駅ホーム跡や中央線が往来する様子も窺えます。なんと別館(屋外展示場)には北海道を開拓するときに使った「開拓使号」や「弁慶号」も展示されています。
付属施設として、映画ホール(3階)、図書室(4階)、軽食堂の「こだま食堂」(3階)、売店が2ヶ所、休憩所、そして駐車場まで完備されていました。

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残念なことに当時は今から4台前のデジカメであり、そのデジカメが行方不明なため当時の写真が無いという状況です。

交通博物館の概要・・・

住所:東京都千代田区神田須田町1丁目25番地
運営:財団法人 交通文化振興財団
敷地:5023㎡
延床面積:7554㎡
展示スペース:4624㎡
実物展示車両:8両(うち、御料車2両)
開館時間:9:30~17:00(入館は16:30まで)
入館料:一般=大人310円  小人(4才以上中学生まで)150円
    団体=大人250円  小人(4才以上中学生まで)120円
交通:JR線…秋葉原(電気街口)・神田(北口)・御茶ノ水(聖橋口)
   地下鉄…小川町(都営新宿線)・淡路町(丸ノ内線)・神田(銀座線)・秋葉原(日比谷線)


今考えると入館料が310円というのが嬉しかったですよね~
鉄道博物館になり入館料が約3倍に跳ね上がり1,000円になってしまったので・・・
ただ、敷地や延床面積が狭いというのが難点でしたが、それでも狭いながら展示車両が8両もあったというのは評価できるんじゃないでしょうか?


休館日:月曜日(国民の祝日、振替休日の場合のみ開館、火曜日休館)
    年末年始12月29日~1月2日
    特別開館:新年(1月3日~7日)
    春休み期間(3月26日~4月6日)
    ゴールデンウィーク(4月29日~5月5日)
    夏休み期間(7月21日~8月31日)
    都民の日(10月1日)
    鉄道旬間(10月11日~20日)


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交通博物館のあゆみ・・・

1921年(大正10)10月14日、鉄道開業50周年を記念して東京駅の北側呉服橋付近に初代の「鉄道博物館」として開館したのがはじまりです。当時は鉄道関係のものだけ展示していた。しかし、鉄道博物館は、施設の狭隘化にともない移転先を探していた。そこで万世橋駅の規模を縮小し、初代駅舎の基礎部分と高架線下のスペースを利用して新館が建設されることになった。そして、1936年(昭和11)4月25日に神田須田町の万世橋駅前に移転し、これによって駅施設は大幅に縮小され、現在では博物館の前庭の新幹線電車が設置されている場所に出札口が設けられ、現在は事務所に使用されているスペースを抜けてプラットホームへと出るようになった。ホームも一面に集約され、神田川側のもう一面のホームがあった場所は車両の留置線になった。またかつての出札口からの通路と階段を転用してホームから博物館へと直接入館できる改札口が設けられた。このように、駅機能の大幅な縮小の末に、鉄道博物館の併設された万世橋駅だったが、戦時中の1943年(昭和18)10月31日を限りに、不要不急駅整理の一環としてついに営業休止となってしまった。その後、建物は博物館専用となり、戦後の1946年(昭和21)1月25日に「鉄道博物館」から「交通文化博物館」と、改称し、運営も「国鉄」から「財団法人 日本交通公社」に変わった。

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そして、1948年(昭和23)に名称を今の「交通博物館」に変更し、鉄道関係の物から交通全般の物になった。その後、1971年(昭和46)2月にまたも運営が「財団法人 日本交通公社」から「財団法人 交通文化振興財団」に移行し、1987年(昭和62)4月1日の国鉄民営化にともない東日本旅客鉄道(JR東日本)が、国鉄から承断。尚、運営は引き続き「財団法人 交通文化振興財団」に委託。
このようにして、数多くの皆様に親しまれてきた交通博物館は、開館以来85年、万世橋に移転して以来、現在の交通博物館建築後、70年が経過し施設の老朽化・陳腐化が著しくさらに、収蔵・展示品目の増加によって用地が狭隘なため、今後の発展が望めないのみならず、早晩その事業の維持すら困難になることが予想されるため、2006年(平成18)5月14日(日)をもって閉館することになったのです。
そして、この交通博物館は生まれ変わって、2007年(平成19)10月14日に大宮操車場跡地に移転し、今までの「財団法人 交通文化振興財団」から旧新橋停車場を運営する、「財団法人 東日本鉄道文化財団」の運営する第2代目「鉄道博物館」として生まれ変わったのです。

その鉄道博物館も来年で開業から10年・・・
老朽化はしていないもののだんだんと手狭になってきているらしいです。
つまり、それほど残すべき車両があるってことなんでしょうね!

鉄道博物館もとい交通博物館は交通系博物館の元祖です!
この博物館があったから今の鉄道博物館があるのです。

そして、今鉄道博物館と交通博物館があった場所に建つ「マーチエキュート神田万世橋」では交通博物館(2006年閉館、千代田区)の閉館10年を記念し、同館の写真や資料、映像の展示を、鉄道博物館と「マーチエキュート神田万世橋」(東京都千代田区)の2か所で、5月13日(金)から行っております。
もし、寄る機会があれば寄ってみると良いかもしれません。交通博物館閉館10年を記念したパンフレットの販売も行っています。

閉館から10年経った今だからこそ交通博物館が秋葉原・万世橋にあったということを今一度思い返して欲しいと思います!

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もう、忘れている方も多いかと思われますが・・・
江差線木古内~江差間が廃線になってから2年が経過しました。

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2年前の今日、木古内~江差間が正式に廃止されました。
そして、早ければ今年中に留萌線の留萌~増毛間も廃止されそうな状態です。

今一度、江差線 木古内~江差間が廃止になったおさらいだけしておきましょう。

単刀直入に言えば、利用客が少なかったからです!

廃線発表前の1日の利用者は41人程度だったそうです。その客の大半は湯ノ岱~上ノ国の上ノ国町間の移動に利用していた上ノ国町の人たちです。もちろんその中に江差・上ノ国から木古内方面に通勤通学していた人も居ると思いますが、大半が区間利用でした。

なら、江差町に住んでいる人はどうして利用しなかったのか?

江差町の人はわざわざ木古内を経由していく江差線を使うより函館に直接行けて時間的にも早いバスを利用しています。

そもそもの問題として、江差駅の場所が問題なのです。
江差駅は市街地より10分ぐらい離れた場所に位置しています。

それが大きな原因でした。
バスは函館から大野国道と呼ばれる国道227号線を通り峠を超えて江差の市街地を通り江差駅・江差バスターミナルへと向かいます。
江差駅の市街を通り江差駅より上ノ国側にある江差バスターミナルに入る訳ですから、そりゃ市街地に近いバス停を利用しますよね。

バスの本数は鉄道より少ない5往復ですが、バスのほうが利便性はあるのです。
こちらの所要時間は約1時間30分。対して当時の江差線は木古内を通ること特急の通過待ちをしていたため2時間~2時間30分もかかります。

もともと国鉄の赤字83線に入っていたのに廃線を間逃れたのは、津軽海峡線の一部を形成する木古内~五稜郭間があったからといっても過言ではない。
枝線である江差~木古内間が残ったのは、当時、道道5号線の整備状況がよくなかったのが原因なのですが、ここ数年でそれは改善し全区間2車線を確保できる道となりました。

こうなってくると、上ノ国町の人も自動車での移動が増えるわけです。
自動車での移動が増える=鉄道の輸送力が落ちるという現象になります。

その結果、1日41人という結果として反映されていたのです。

ちなみにこの結果、同年に廃止となった岩泉線とほぼ互角に戦えるほどのレベルでした。

木古内~江差間が先行して廃止になったもう1つの理由としては、北海道新幹線が開業した後、五稜郭~木古内間が移管されることが決定しており、この木古内~江差間だけが孤立区間となってしまう事が懸念されたため、2014年5月11日を持って廃止することになりました。
その後、2015年3月2日五稜郭~木古内間も事業廃止届を提出、同年6月には第三セクターの道南いさりび鉄道が第一種鉄道事業を認可され、正式に存続することが決定しました。

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そして、今年3月25日を持って80年の歴史に終止符を打ちました。
最終日には、線内で唯一の直営駅だった木古内駅の電光掲示板に「さようなら江差線」と表示したそうです。
翌日以降、木古内駅は新幹線の方に移管され無人駅となってしまった。そして今まで旅客扱いをしてきた1~3番線も閉鎖となった。

現在は道南いさりび鉄道が木古内~五稜郭間の輸送を引き受けていますが、JR時代から大幅に運賃が値上げされ、地域間輸送に支障をきたしており、特例のオプション券で通過が認められる「青春18きっぷ」利用者は途中下車出来ない関係で売上には期待できないでしょう。
ただ、「はこだてパスポート」が渡島当別から木古内まで延長された関係で少しは期待できるかもしれませんが難しいところでしょう。

あとは、「ながまれ号」利用客をどれだけ呼び込めるかでしょうね。

木古内に関しては、江差や奥尻島、松前へのアクセスの拠点となることと首都圏や東北からのアクセスが飛躍的に向上したことから「はやぶさ」利用客をどれだけ木古内で下車させるかというところでしょう。
現時点で言えば、新幹線と道南いさりび鉄道の接続が悪いということと、木古内で下車した客をいかにして函館へ輸送させるかと言うところです。
どうせなら、数本は電車をJRから貰っておいた方が良かったんじゃないかと思うんですがね・・・
新幹線と接続する快速を新設すれば、新函館北斗に対抗できると思うんですがね~

新幹線が開業した木古内の今後も要注目という感じでしょう!

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ただ、忘れないで欲しい・・・
木古内~江差間に鉄道が走っていたということを・・・

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最後に・・・
この書庫は今後、JR北海道傘下から東日本私鉄の傘下に変更し、「道南いさりび鉄道(旧江差線)」とする予定です。

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